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Channel: カネミ・カネカ油症に正義を!
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[転載]カネミ油症発覚50年(1)「この油おかしい」人生暗転

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体験を語る油症被害者関西連絡会共同代表=大阪市内
カネミ倉庫の米ぬか油「ライスオイル」(1971年、写真家河野裕昭さん撮影)
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カネミ倉庫の米ぬか油「ライスオイル」(1971年、写真家河野裕昭さん撮影)
           
 カネミ油症の被害者として認定され、兵庫県内に居住しているのは16人。この数字は被害の氷山の一角にすぎない。発覚から50年たつが、患者は今も苦しみ続け、母体を通じて子や孫に広がった被害もある。半世紀たった今も終わらぬ被害の実情を追った。
 「ライスオイルを天ぷら油にすると、プクプクと変な泡が沸いてきた。健康にいいと評判だったけど、母が『この油おかしい』って言って。それを食べてから最悪の人生やった」
 西日本一帯で1968年に発覚した食品公害、カネミ油症。認定患者の渡部(わたなべ)道子さん(62)=姫路市=は小学6年の3月、転居したばかりの長崎県・五島列島で、ポリ塩化ビフェニール(PCB)に汚染されたカネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油「ライスオイル」を口にした。間もなく、お尻や背中に膿(うみ)のある大きなおできができ出した。
 「くさいし、学校のいすに座るのも痛い。クラスの半分以上が同じ症状だった。下着に膿が付くから毎朝母が絞り出して、薬を付けて油紙とガーゼで手当してくれた。弟の背中の膿もよくつぶしてやった。手袋をはめて力を入れると、ぴゅっと膿が飛んだ」
 両親や弟にも次々にさまざまな症状が現れ、一家4人、全員が油症患者と認定された。
 「朝礼の時間は立ち続けられないから、座って見学。原因不明の高熱をくり返して入院して。がんで右の卵巣を取った時は母が泣いてた。高校も入院ばかりで、行きたい大学はあきらめた。人生変えられて、めっちゃむかつくよね」
 顕著な不調は35歳くらいまで続き、今も極端な疲れやすさや、病気が重症化しやすい体質を引きずる。     
     ◇
 1980年ごろ、姫路に移住。関西の被害者の世話役をしていた父親が亡くなったのをきっかけに、2011年、油症被害者関西連絡会を設立した。関西の患者は九州や広島からの転居者が多い。患者同士のつながりが弱いため、設立までは、まとまった患者団体はなかったという。渡部さん自身もカネミ油症から目を背けた時期もあった。
 活動を始めてから関西と九州の情報の差にがくぜんとした。「カネミ倉庫に医療費を請求する方法を知っている人がほとんどいないなんて、絶対におかしいと思った」
 発足当初、活動はほぼ一人きり。認定患者らを対象に年1回行われる油症検診会場で、端から声を掛け、関西在住の被害者を把握した。現在は曽我部和弘さん(54)=大阪府河内長野市=と共同代表を務める。年2回、九州で被害者、カネミ倉庫、国が顔をそろえる三者協議に出席。被害者の窮状を訴え、約50人の会員に向けて情報発信を続ける。
 「健康被害があるのに油症と知らずに過ごしている人や、油症患者なのに補償が受けられない人がいる。1人でも多くとつながり、正しい情報を伝えたい」
 小柄な体に強い意志を宿す。(小尾絵生)

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九州大学病院 油症ダイオキシン研究診療センター

www.yusho.hosp.kyushu-u.ac.jp/ - キャッシュ
九州大学病院油症ダイオキシン研究診療センターのご案内。油症の外来、相談窓口のご案内。
未指定:カネカ
ja.wikipedia.org/wiki/カネミ油症事件 - キャッシュ
カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年に、ポリ塩化ビフェニル(PCB)などが混入した食用油を摂取した人々に障害等が発生した、主として福岡 ... このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡( クロルアクネ)など肌の異常、頭痛、手足のしびれ、 ... 1968年11月4日には、油症研究班が、カネミ油に含まれた有機塩素化合物のガスクロマトグラフのパターンが、鐘淵化学(現・株式 .... 鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。
www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/.../kanemi/ - キャッシュ
事件の原因は、カネミ倉庫社製のライスオイル(米ぬか油)中に、製造の際の脱臭工程の熱媒体として用いられた、鐘淵化学工業(現カネカ)社製カネクロールが混入していたことでした。このため、ポリ塩化ビフェニル(PCB)や、ダイオキシン類 ... 別ウィンドウで開く 九州大学病院油症ダイオキシン研究診療センター · Get Adobe Reader. PDF ファイル ...
iwj.co.jp/wj/open/archives/99178 - キャッシュ
厚生省は、油症原因物質のひとつに、ダイオキシンがあったことをなかなか認めなかったが、2002年に当時の坂口厚生労働 ... PCBメーカーである大企業・鐘淵化学工業株式会社(現・株式会社カネカ)に責任を負わせるため、製造機械内の ...
サイト内リンク:
カネミ油症事件とは - 事故原因 - 九州大学病院の責任 - 消滅した民事裁判
www.facebook.com/media/set/?set=a...type=3
カネミ油症、カネカpcb、ダイオキシンを学ぶかい 油症ダイオキシン研究診療センター( 以下センター)は、1968年(昭和43)に発生したカネミ食用油による食中毒事件(以下油症)の治療法開発の推進と、発症機序の解明に向けた研究を推進する研究診療拠点 ...
www.city.nagoya.jp/kenkofukushi/page/0000043205.html - キャッシュ
2018年2月1日 - 事件の原因は、カネミ倉庫社製のライスオイル中に、製造の際の脱臭工程の熱媒体として用いられた、鐘淵化学工業(現カネカ)社製カネクロールが混入していたことでした。このため、ポリ塩化ビフェニル(PCB)や、ダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)等が、製品のライスオイルの中に混入しま ... カネミ油症患者の認定は、検診結果等をもとに、全国油症治療研究班に認定を依頼しています。
www.pref.aichi.jp > ... > くらし・安全・環境 > 安心・安全 > 健康被害 - キャッシュ
... のライスオイル(米ぬか油)中に、製造の際の脱臭工程の熱媒体として用いられた、鐘淵化学工業(現カネカ)社製カネクロールが混入していたことでした。このため、ポリ塩化ビフェニル(PCB)や、ダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)等が、製品のライス ... 2 平成24年12月3日に、油症診断基準が改正され、カネミ油症患者の油症発生当時の同居家族の方が新たに認定の対象となりました。
www.min-iren.gr.jp/?p=13833 - キャッシュ
一一月二二、二三の両日、全国保険医団体連合会が、油症患者が多い長崎・五島( ごとう)市で公害視察会を実施。民医連の医師も ... 将来に続く油症の被害、 ダイオキシンの恐ろしさを世に知らせ、油症問題の解決・救済をめざしています。 ... カネミ倉庫とともに、国と、PCBを製造した鐘淵化学(現カネカ)の責任も問われている。
www.pref.shimane.lg.jp > ... > 食品衛生 > その他業務概要 - キャッシュ
事件の原因:カネミ倉庫社製ライスオイル(米ぬか油)中に、脱臭工程の熱媒体として用いられた鐘淵化学工業(現カネカ)社製 ... ・PCDF:ポリ塩化ジベンゾフラン・・・PCBと一部構造の異なる物質(ダイオキシン類の一種) ... カネミ油症患者の認定については、 検診結果をもとに、全国油症治療研究班・追跡調査班が作成した油症診断基準に基づい ...
www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/58/kanemi2015.html - キャッシュ
... 工業(現カネカ)社製カネクロール(ポリ塩化ビフェニル(PCB)や,ダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)等 ... 平成24年12月から,カネミ油症の診断基準が改定され,カネミ油症患者の油症発生当時の同居家族の方が,新たに認定の ...


転載元: 食品・心・土壌・水質・底質汚染


[転載]“生きて”カネミ油症50年の証言 患者急増 まるで野戦病院 原因不明、治療法なく -患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙

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“生きて”カネミ油症50年の証言 患者急増 まるで野戦病院 原因不明、治療法なく -患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙 – 47NEWS
 病室に漂う膿(うみ)のにおい、苦痛にゆがむ患者の顔−。長崎県五島市玉之浦町の元准看護師、橋本たき子(80)は50年前を思い返すたびに、胸が締め付けられる。
 1968(昭和43)年春。30歳のたき子は、同町の診療所で働いていた。3月の末、訪れる小中学生が急に増えた。総じて脱力感を訴え、待合室の長いすに寝そべっていた。「学校をサボりたいのかな」。いぶかったが、よく見ると子どもたちの皮膚には発疹が目立ち、ひどく目やにが出ている。腹痛を訴える子も少なくない。奇妙だった。
 1カ月もたたないうちに成人患者も次々にやって来た。ほとんどが漁師。昼間は痛みに耐えて働き、夜、診療所の当直時間に人目を避けるように来院する。青年期の男性は症状が特にひどく、顔や背中、脇の下、内股などに、びっしりと重なるように吹き出物ができていた。患部に薬を塗ったりガーゼを取り換えたりしたが、膿は耐えがたいにおいを発した。
 夏になると診療所は患者であふれ返った。医師の指示で解毒薬を患者に点滴したが、すぐに病室も、点滴袋をつるす器具も足りなくなった。廊下や待合室に畳を敷き、点滴袋は壁や戸に直接ぶら下げるしかなかった。当直の際は、痛みにうめく入院患者に何度も呼び出された。「まるで野戦病院」。昼夜なく駆け回りながら、途方に暮れた。
 治療法はなく、病名すら付けられない状態。「このやぶ医者が!」。荒い漁師らは、一向に治らない“奇病”にいら立ち、医師に罵声を浴びせた。3人いた医師のうち、たき子と同年代で最も若い男性医師は特に怒りの矛先を向けられ、思い悩んでいた様子を覚えている。
 原因が分かったのは10月。「北九州市で製造された食用米ぬか油『カネミライスオイル』に有害なPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入していた」。役場から診療所にそんな連絡が入った。予想もしなかった知らせに、たき子は驚いた。そして新たな恐怖が湧き上がった。「自分たち家族も食べている」
◎黒い赤ちゃんに衝撃 自身と家族全員も重い症状
 たき子の家族にも、来院患者と同じような症状が現れていた。
 当時、夫と幼い1男3女の6人家族。全員の顔や背中、手脚などに吹き出物が出て、子どもたちは髪が抜けた。目が開かないほどの目やに、腹痛、鼻血−。学校は休みがちになった。
 原因の食用油は自宅近くの商店で、一斗缶から一升ずつ量り売りで購入。豚カツや天ぷら、ドーナツなどを作って家族にたくさん食べさせていた。事件が発覚する10月までに一升瓶で約5本分を使った。
 たき子自身、強い倦怠(けんたい)感や吹き出物に苦しみながら、患者が押し寄せる診療所で激務に追われる日々。家族や自らの体を顧みる余裕はなかった。
 油症の影響は、新たな命にも及ぶ。お産があるたびに、たき子は診療所近くの母子センターで医師と立ち会っていた。68年の暮れ、その赤ちゃんを見た時、悲鳴を必死でこらえた。皮膚はコーヒーを塗ったように黒ずみ、弾力がない。産声も、か細い。覚えているだけで、同様の赤ちゃんは12、13人が生まれた。
 集落ではいつの間にか「黒い赤ちゃんがまた生まれた」とうわさが広がった。皮膚の黒さは小学生になっても残り、歯がぼろぼろになる症状も目立っていた。
 2、3年すると、診療所には大腸がんや胃がんなどのがん患者が増えた。痛みに苦しみ、亡くなっていく患者をみとる一方、たき子も初期の子宮がんを発症。73年に摘出手術を受けた。夫や子も内臓や目の疾患に悩まされ続けた。
 長男を除く家族5人が油症と認定。国や原因企業カネミ倉庫、PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)の責任を問う集団訴訟では夫が1陣、たき子は2陣、娘3人が3陣に加わった。1陣の二審、3陣の一審では原告が勝訴し、夫と娘計4人の仮払金を国から受け取った。しかし、86年の2陣の二審判決で国とカネカの責任が否定されると、最高裁での敗訴の可能性が高まり、患者側は訴訟を取り下げた。10年後、国から仮払金返還を請求され、たき子夫妻は4人分の返済をほそぼそと続けた。長男は近年、油症認定された。
 今も夜中に目が覚めると、診療所で夜聞いた患者のうめき声が耳の中で響く。幼い頃から知っている青年が症状に耐えられず、命を絶ったこともあった。思い出すと涙が出る。
 「油症で人生を壊された人がいる。夢を持って生活していたのに突然絶たれた。その悲惨さを風化させてはいけない」。たき子の思いだ。

転載元: 有害物質は土壌・底質に蓄積する。高砂西港のカネカ盛立地を学ぶ

[転載]未だに根本的な治療方法さえ確立していない現在、「カネカ・カネミ油症被害者」が直面している問題は

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未だに根本的な治療方法さえ確立していない現在、「カネカ・カネミ油症被害者」が直面している問題は
1.資金が無い、治療費を出し渋る「カネミ倉庫」への「国」の支援の拡大
2.認定された後も、十分な補償を受けていない「新認定患者」の救済
3.「認定基準」の見直しと「未認定被害者」の「早期認定」
4.胎盤を通して胎児への「PCB」の移行が医学的に証明されている今、「認定患者」から生まれた子供の「認定」
5.生活に困窮する「カネカ・カネミ油症患者」への、「国」の支給する「健康調査協力金」の増額
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患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙

患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙
長崎新聞
 病室に漂う膿(うみ)のにおい、苦痛にゆがむ患者の顔−。長崎県五島市玉之浦町の元准看護師橋本たき子(80)は50年前を思い返すたびに、胸が締め付けられる。
 1968(昭和43)年春。30歳のたき子は、同町の診療所で働いていた。3月の末、訪れる小中学生が急に増えた。総じて脱力感を訴え、待合室の長いすに寝そべっていた。「学校をサボりたいのかな」。いぶかったが、よく見ると子どもたちの皮膚には発疹が目立ち、ひどく目やにが出ている。腹痛を訴える子も少なくない。奇妙だった。
 1カ月もたたないうちに成人患者も次々にやって来た。ほとんどが漁師。昼間は痛みに耐えて働き、夜、診療所の当直時間に人目を避けるように来院する。青年期の男性は症状が特にひどく、顔や背中、脇の下、内股などに、びっしりと重なるように吹き出物ができていた。患部に薬を塗ったりガーゼを取り換えたりしたが、膿は耐えがたいにおいを発した。
 夏になると診療所は患者であふれ返った。医師の指示で解毒薬を患者に点滴したが、すぐに病室も、点滴袋をつるす器具も足りなくなった。廊下や待合室に畳を敷き、点滴袋は壁や戸に直接ぶら下げるしかなかった。当直の際は、痛みにうめく入院患者に何度も呼び出された。「まるで野戦病院」。昼夜なく駆け回りながら、途方に暮れた。
 治療法はなく、病名すら付けられない状態。「このやぶ医者が!」。荒い漁師らは、一向に治らない“奇病”にいら立ち、医師に罵声を浴びせた。3人いた医師のうち、たき子と同年代で最も若い男性医師は特に怒りの矛先を向けられ、思い悩んでいた様子を覚えている。
 原因が分かったのは10月。「北九州市で製造された食用米ぬか油『カネミライスオイル』に有害なPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入していた」。役場から診療所にそんな連絡が入った。予想もしなかった知らせに、たき子は驚いた。そして新たな恐怖が湧き上がった。「自分たち家族も食べている」



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◎黒い赤ちゃんに衝撃 自身と家族全員も重い症状

 たき子の家族にも、来院患者と同じような症状が現れていた。
 当時、夫と幼い1男3女の6人家族。全員の顔や背中、手脚などに吹き出物が出て、子どもたちは髪が抜けた。目が開かないほどの目やに、腹痛、鼻血−。学校は休みがちになった。
 原因の食用油は自宅近くの商店で、一斗缶から一升ずつ量り売りで購入。豚カツや天ぷら、ドーナツなどを作って家族にたくさん食べさせていた。事件が発覚する10月までに一升瓶で約5本分を使った。
 たき子自身、強い倦怠(けんたい)感や吹き出物に苦しみながら、患者が押し寄せる診療所で激務に追われる日々。家族や自らの体を顧みる余裕はなかった。
 油症の影響は、新たな命にも及ぶ。お産があるたびに、たき子は診療所近くの母子センターで医師と立ち会っていた。68年の暮れ、その赤ちゃんを見た時、悲鳴を必死でこらえた。皮膚はコーヒーを塗ったように黒ずみ、弾力がない。産声も、か細い。覚えているだけで、同様の赤ちゃんは12、13人が生まれた。
 集落ではいつの間にか「黒い赤ちゃんがまた生まれた」とうわさが広がった。皮膚の黒さは小学生になっても残り、歯がぼろぼろになる症状も目立っていた。

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  2、3年すると、診療所には大腸がんや胃がんなどのがん患者が増えた。痛みに苦しみ、亡くなっていく患者をみとる一方、たき子も初期の子宮がんを発症。73年に摘出手術を受けた。夫や子も内臓や目の疾患に悩まされ続けた。
 長男を除く家族5人が油症と認定。国や原因企業カネミ倉庫、PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)の責任を問う集団訴訟では夫が1陣、たき子は2陣、娘3人が3陣に加わった。1陣の二審、3陣の一審では原告が勝訴し、夫と娘計4人の仮払金を国から受け取った。しかし、86年の2陣の二審判決で国とカネカの責任が否定されると、最高裁での敗訴の可能性が高まり、患者側は訴訟を取り下げた。10年後、国から仮払金返還を請求され、たき子夫妻は4人分の返済をほそぼそと続けた。長男は近年、油症認定された。
 今も夜中に目が覚めると、診療所で夜聞いた患者のうめき声が耳の中で響く。幼い頃から知っている青年が症状に耐えられず、命を絶ったこともあった。思い出すと涙が出る。
 「油症で人生を壊された人がいる。夢を持って生活していたのに突然絶たれた。その悲惨さを風化させてはいけない」。たき子の思いだ。
=文中敬称略=





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怨怒の民より 借用しました。


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水俣 相思社より借用しました。


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転載元: 持続可能な開発(水・土・廃棄物)

[転載]カネミ油症と台湾油症の比較―患者の症状、認定基準(日本)・患者登録(台湾)を中心に―

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カネミ油症と台湾油症の比較―患者の症状、認定基準(日本)・患者登録(台湾)を中心に―

金 星
A Comparative Study of Kanemi Yusho and Taiwan Yucheng:
Patients'symptoms, certification criteria(Japan) and registration of patients (Taiwan)
Jin Xing
要旨
油症は人類が初めて経験したPCBs 及びPCDFs 集団食中毒事件である。世界中で、発生し
たのは日本と台湾だけである。本論は、カネミ油症と台湾油症について、長期に及ぶ大規模
な健康被害の社会的事象として、主に油症患者の症状、食中毒事件としての油症認定問題の
2 つの面に着目して、共通の問題を中心に考察した。

まず、カネミ油症と台湾油症の概要を述べる。次に、油症被害者及び支援者十数名に直接
聞き取り調査を実施し、文献及び現地で入手した一次資料等を参考にして、健康被害につい
て、油症問題の長期に渡る、治療困難性及び胎児性患者の存在などの特徴を考察した。その
結果、両油症事件はおそらくほぼ同一レベルのダイオキシン汚染による中毒症状とみなす
ことができるであろう。次いで、食中毒としてのいわゆる「認定基準」や「患者登録」につ
いて考察した。両油症事件は、環境汚染を経由しないので法律上の「公害」ではなく、法的
な位置づけとしては食中毒事件である。しかし、油症は慢性疾患である点などが公害に類似
しており、マスコミや市民運動などから「食品公害」と呼ばれることが少なくない。

一方、現在の日本及び台湾には、食品公害の被害に対応するための法制度が存在しないた
め、認定問題について学問的に適切な解決策(原因食品摂取の確認と1つ以上の症状が判定
要件)を検討した。最後に、油症に関係する様々な分野で聞き取り調査をした結果をまとめ
て、カネミ油症と台湾油症被害の補償がまだ不十分であるなどの現状を明らかにした。

日本と台湾は異なる社会的背景を持つ。しかし、2 つの油症事件については、いまだに未
知の部分が多いことが現実である。さらに、先行研究において、カネミ油症事件と台湾油症
事件の比較研究は非常に少ないので、この両事件の比較研究が必要である。本論は、カネミ
油症と台湾油症の比較考察への第一歩に位置づけられる。

キーワード:カネミ油症、台湾油症、化学性食中毒、認定基準、患者登録、食品公害



1968 年の秋に福岡県北九州市を始め西日本一帯で発覚した「カネミ油症」(Yusho)事件
からちょうど10 年目の1978 年末、台湾の台中県及び彰化県でもカネミ油症とほぼ同じよ
うな症状を有する「台湾油症」(Yucheng)事件が発生した。すなわち、米ぬか油がポリ塩化
ビフェニル(PCBs)や、ダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDFs)な
どに汚染されたことによる化学性食中毒事件である。

日本では、事件発覚から44 年後、2012 年8 月に「カネミ油症患者に関する施策の総合的
な推進に関する法律」が制定されて、同年9 月5 日に施行されている。台湾の場合は36 年
を経て、2015 年1月22 日、「油症患者健康照護服務条例」[注1]が制定されて、同年2 月
4 日に公布、同時に施行されている。

救済制度が確立されたから、もうすでに油症事件は終わったのか? この疑問を抱え込
んで、筆者は2017 年2 月と8 月に台湾油症調査のため、カネミ油症被害者支援センター運
営委員藤原寿和(2 月には下関私立大学名誉教授の下田守も同行)と台湾の政府機関である
衛生福利部国民健康署[注2](以下国民健康署と呼ぶ)、台湾油症受害者支持協会、国立
台湾大学、国家衛生研究院、恵明学校[注3]などを訪問した。また、8 月の調査では、前
回同様の油症調査と合わせて、新たに台湾におけるPCBs 問題で行政院環境保護署化学局の
ヒアリングを行った。そして、同時に中国石油化学工業開発株式会社(台南市)の調査も行
った。この会社の前身は、1938 年に日本の鐘淵曹達株式会社が建設を開始し、1942 年に完
成した工場である。

2017 年7 月12 日長崎県五島市奈留島において、筆者は「カネミ油症五島市の会」事務局
長宿輪敏子にインタビューした。7月13 日、福江総合福祉保健センターでカネミ油症事件
発生50 年事業実行委員長下田守と九州大学病院油症ダイオキシン研究診療センター長崎県
五島担当谷尾恵子及びほかの委員たちに聞き取り調査した。

2017 年8 月30 日藤原寿和とともに農林水産省[注4]に聞き取り調査した。
2017 年10 月14 日筆者は「カネミ油症PCB 汚染を考える集いin 高砂」を参加し、カネミ
油症関係者に聞き取り調査した。

2016 年以来、筆者はカネミ油症及び台湾油症の被害者計13 名に聞き取り調査した。具体
的状況は第2 章で言及する。

油症は人類が初めて経験したPCBs 及びPCDFs 集団食中毒事件である。世界中で、発生し
たのは日本と台湾だけである。特に、カネミ油症以前には人類はダイオキシン類の直接的な
経口摂取の経験がない。なお、ダイオキシン中毒の事例としては、ベトナム枯葉作戦(1961
~1971 年)やイタリアセベソ事故(1976 年)などがある。原田正純医師(故人)はカネミ
油症が病気のデパートであり、大切な人類の負の財産だと語っている。

日本と台湾は異なる社会的背景を持つ。しかし、2 つの油症事件については、健康被害
及び救済制度などお互いに共通する面が少なくなく、いまだに未知の部分が多いことを認
識すべきである。さらに、先行研究において、カネミ油症事件と台湾油症事件の比較研究
は非常に少なく、この両事件の比較研究が必要である。





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転載元: 企業の社会的責任を持たす市民のブログ

[転載]カネカ・カネミ油症の治療・医療機関の問題点 台湾油症は次世代を認定しているのに日本はなぜ認定しない

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カネカ・カネミ油症50年記念行事「油症の経験を未来につなぐ集い」

■日時 2018年11月17日(土)

■場所 福江総合福祉保健センター(長崎県五島市三尾野1丁目7番1号)

■スケジュール
10時30分~12時 第1部:記念式典

13時~15時50分 第2部:分科会
 分科会A:油症の医療と福祉を考える
 分科会B:被害者と語り合い交流する
 分科会C:食の安全と健康について考える
 分科会D:油症について学び、伝える

関連行事
(1)現地交流会
■日時 11月18日(日)8時30分~16時30分
■場所 奈留:9時30分~11時30分、玉之浦:13時30分~15時30分

(2)写真パネル・資料の展示
■日時 11月17日(土)頃~数日間
■場所 福江総合福祉保健センター

(3)カネミ油症について学ぶ市民講座
■対象 中学生以上
■期間 5月~10月(全6回)
■場所 福江総合福祉保健センター
市民講座について詳しくは、市民講座チラシをご覧ください




カネカ・カネミ油症の治療・医療機関の問題点
 油症に対する有効な治療法が開発されておらず、専門の病院も設置されていないため、健康食品等を購入してこれに依存している者も多い。
 病院から病院へといわゆる「たらい廻し」の状態にされるほか、医師・医療機関が有するカネミ油症に関する知識や情報は極めて不十分である。
...
 中には、陰部の吹き出物を梅毒と誤診するなど、全く理解のない医師もおり、そのため、夫婦の関係が悪化した者もいる。
また、油症を専門とする婦人科の医師がいないため、女性が適切な治療を受けられないという問題もある。


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患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙

患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙
長崎新聞
 病室に漂う膿(うみ)のにおい、苦痛にゆがむ患者の顔−。長崎県五島市玉之浦町の元准看護師橋本たき子(80)は50年前を思い返すたびに、胸が締め付けられる。
 1968(昭和43)年春。30歳のたき子は、同町の診療所で働いていた。3月の末、訪れる小中学生が急に増えた。総じて脱力感を訴え、待合室の長いすに寝そべっていた。「学校をサボりたいのかな」。いぶかったが、よく見ると子どもたちの皮膚には発疹が目立ち、ひどく目やにが出ている。腹痛を訴える子も少なくない。奇妙だった。
 1カ月もたたないうちに成人患者も次々にやって来た。ほとんどが漁師。昼間は痛みに耐えて働き、夜、診療所の当直時間に人目を避けるように来院する。青年期の男性は症状が特にひどく、顔や背中、脇の下、内股などに、びっしりと重なるように吹き出物ができていた。患部に薬を塗ったりガーゼを取り換えたりしたが、膿は耐えがたいにおいを発した。
 夏になると診療所は患者であふれ返った。医師の指示で解毒薬を患者に点滴したが、すぐに病室も、点滴袋をつるす器具も足りなくなった。廊下や待合室に畳を敷き、点滴袋は壁や戸に直接ぶら下げるしかなかった。当直の際は、痛みにうめく入院患者に何度も呼び出された。「まるで野戦病院」。昼夜なく駆け回りながら、途方に暮れた。
 治療法はなく、病名すら付けられない状態。「このやぶ医者が!」。荒い漁師らは、一向に治らない“奇病”にいら立ち、医師に罵声を浴びせた。3人いた医師のうち、たき子と同年代で最も若い男性医師は特に怒りの矛先を向けられ、思い悩んでいた様子を覚えている。
 原因が分かったのは10月。「北九州市で製造された食用米ぬか油『カネミライスオイル』に有害なPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入していた」。役場から診療所にそんな連絡が入った。予想もしなかった知らせに、たき子は驚いた。そして新たな恐怖が湧き上がった。「自分たち家族も食べている」


◎黒い赤ちゃんに衝撃 自身と家族全員も重い症状

 たき子の家族にも、来院患者と同じような症状が現れていた。
 当時、夫と幼い1男3女の6人家族。全員の顔や背中、手脚などに吹き出物が出て、子どもたちは髪が抜けた。目が開かないほどの目やに、腹痛、鼻血−。学校は休みがちになった。
 原因の食用油は自宅近くの商店で、一斗缶から一升ずつ量り売りで購入。豚カツや天ぷら、ドーナツなどを作って家族にたくさん食べさせていた。事件が発覚する10月までに一升瓶で約5本分を使った。
 たき子自身、強い倦怠(けんたい)感や吹き出物に苦しみながら、患者が押し寄せる診療所で激務に追われる日々。家族や自らの体を顧みる余裕はなかった。
 油症の影響は、新たな命にも及ぶ。お産があるたびに、たき子は診療所近くの母子センターで医師と立ち会っていた。68年の暮れ、その赤ちゃんを見た時、悲鳴を必死でこらえた。皮膚はコーヒーを塗ったように黒ずみ、弾力がない。産声も、か細い。覚えているだけで、同様の赤ちゃんは12、13人が生まれた。
 集落ではいつの間にか「黒い赤ちゃんがまた生まれた」とうわさが広がった。皮膚の黒さは小学生になっても残り、歯がぼろぼろになる症状も目立っていた。
 2、3年すると、診療所には大腸がんや胃がんなどのがん患者が増えた。痛みに苦しみ、亡くなっていく患者をみとる一方、たき子も初期の子宮がんを発症。73年に摘出手術を受けた。夫や子も内臓や目の疾患に悩まされ続けた。
 長男を除く家族5人が油症と認定。国や原因企業カネミ倉庫、PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)の責任を問う集団訴訟では夫が1陣、たき子は2陣、娘3人が3陣に加わった。1陣の二審、3陣の一審では原告が勝訴し、夫と娘計4人の仮払金を国から受け取った。しかし、86年の2陣の二審判決で国とカネカの責任が否定されると、最高裁での敗訴の可能性が高まり、患者側は訴訟を取り下げた。10年後、国から仮払金返還を請求され、たき子夫妻は4人分の返済をほそぼそと続けた。長男は近年、油症認定された。
 今も夜中に目が覚めると、診療所で夜聞いた患者のうめき声が耳の中で響く。幼い頃から知っている青年が症状に耐えられず、命を絶ったこともあった。思い出すと涙が出る。
 「油症で人生を壊された人がいる。夢を持って生活していたのに突然絶たれた。その悲惨さを風化させてはいけない」。たき子の思いだ。
=文中敬称略=

カネミ油症について 【医療従事者の方向けの情報】 |厚生労働省

www.mhlw.go.jp > ... > 健康・医療 > 食品 > 健康危機・健康被害への対応 - キャッシュ
カネミ油症について 【医療従事者の方向けの情報】について紹介しています。
www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou.../iryohi.pdf
カネミ油症の認定を受けた患者さんの医療費については、各種健康保険の利用をし. たうえ、本人負担部分がある場合、カネミ倉庫(株)が支払うことになっています。 具体的には、患者さんが領収書を添えてカネミ倉庫に医療費を請求することで、後. 日、償還払い ...
www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/.../dl/kaigi_h25-1-08.pdf
医療機関の皆さまへ∼. 全国油症治療研究班・追跡調査班. 油症ダイオキシン研究診療センター. カネミ油症の手引き. ― 症状と治療について ―. 厚生労働科学研究費補助金( 食品の安全確保推進研究事業). 食品を介したダイオキシン類等の人体への影響の ...
www.mhlw.go.jp > ... > 健康・医療 > 食品 > 健康危機・健康被害への対応 - キャッシュ
医療費の支払】 カネミ油症に関する医療については、カネミ倉庫株式会社が、患者の皆様に、かかった医療費の自己負担分をお支払いしています。 また、一部の医療機関では、油症患者受療券を提示すれば、窓口での自己負担なく、カネミ油症に関する医療を ...



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#高砂西港 #pcb汚泥盛立地 #台湾油症認定基準 #カネミ油症被害者支援センター #排除のための検診  #カネカ・カネミ油症 #カネカ #鐘淵化学工業 #カネミ倉庫 #PCB #ダイオキシン #土壌汚染 #底質汚染 #高砂市 #高砂西港  #郭育良教授 #台湾大学  #カネミ油症 #健康被害 #免疫システム #先天性心臓病 #神経システム #免疫システム #内分泌ホルモン #油症被害者 #認定基準  #胎盤 #土壌汚染



転載元: 有害物質は土壌・底質に蓄積する。高砂西港のカネカ盛立地を学ぶ

[転載]福岡地裁は「鐘淵化学工業は製造開始前からPCB が人体に摂取されると、皮膚や内臓にさまざまな障害を起こさせる可能性があることを知っており、製造開始後も、さらにその認識を深めていた。従って販売に当たって

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カネミ油症事件の現況と人権


鐘化の責任;製造物責任
福岡地裁は「鐘淵化学工業(カネカ)は製造開始前からPCB が人体に摂取されると、皮膚や内臓にさまざまな障害を起こさせる可能性があることを知っており、製造開始後も、さらにその認識を深めていた。従って販売に当たって、食品業者に毒性の正確な情報を提供、食品の安全確保に注意を十分、警告する義務がある」「それにもかかわらず、全体としての危険性はほとんど問題にあたらないとして、安全性の強調に傾き、食品製造業者に混入時の危険を正式に認識させ、混入防止措置や混入の有無の検索の必要性の注意を喚起させるには、ほど遠かった。カネミ倉庫に不当に安心感をそそるような表現をして積極的に推奨販売したことは否定できない。ここに基本的かつ重大な過失がある」とした。

鐘化の責任は、6回法廷で認められた。

しかし、1986(昭和61)年5月15日の第二陣控訴審判決では否定された。生産者が自ら生産する製品について、生産と使用の段階だけでなく、使用後廃棄物となった後まで一定の責任を負うべきと言う考え方(製造物責任)
になりつつあるから、まして、廃棄物でなく、実際に他社で使用されるものであるから、製造から先まで一定の責任があった。
その毒性について知り得る立場にいながら、何の注意を払わなかった。しかも、大量に買付けて補充していたのであるから、大量漏出を知らなかったのであろうか。



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4)行政責任;行政は何のためにあるのか
福岡地裁小倉支部は国の責任を認めなかった。しかし、カネミ油症事件全
国統一民事訴訟第一陣控訴審判決(昭和59年3月16日)、全国統一民事訴訟第
三陣一審判決(昭和60年2月13日)で国の責任を認めた。水俣病裁判のよう
な公害裁判において争われるのは民事訴訟であるが、通常の民事訴訟と異
なって、このような裁判の場合、原告(被害者)と被告(加害者)とは同等
ではない。原告は加害企業、行政が多く、彼らは常に経済力も権力も持ち、
専門家を動員することも、有利な証拠を手に入れることも可能である。それ


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カネカ・カネミ油症事件は人権侵害
  カネミ油症患者には何の落ち度もない。しかも、贅澤品や嗜好品などという被害者が選択できるものではなく、日常的に摂取する絶対必要な食物の中に毒物が混入したのである。
 被害の予見、予防をすることもなく、被害の拡大を許し、狭い判断条件で多数の被害者を被害者として認めず、その救済を怠り、放置し、わずかばかりの補償金で沈黙させられ、しかも辛うじて勝ち取った行政責任の判決を喝に近い説得で取り下げさせ、しかも、和解後10年近くなって仮払金を督促してきた。
本人の症状ばかりでなく、その子(二世代)、さらにその子(三世代)にも健康上のみならず、多様な被害を被っている。
したがって、症状の直接的な苦痛だけでなく、日常生活における障害(不便さ)、経済的不利益、家庭崩壊、社会的信用の低下・疎外・孤立、さらに行政指導の不十分さのために患者やその子孫は理不尽な差別に苦しめられてきた。
 これはまさに、有史以来最大の人権侵害の一つで、かって、このような事例が他にあっただろうか。


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カネミ油症事件は人権侵害

 カネミ油症患者には何の落ち度もない。しかも、贅澤品や嗜好品などという被害者が選択できるものではなく、日常的に摂取する絶対必要な食物の中に毒物が混入したのである。
 被害の予見、予防をすることもなく、被害の拡大を許し、狭い判断条件で多数の被害者を被害者として認めず、その救済を怠り、放置し、わずかばかりの補償金で沈黙させられ、しかも辛うじて勝ち取った行政責任の判決を喝に近い説得で取り下げさせ、しかも、和解後10年近くなって仮払金を督促してきた。本人の症状ばかりでなく、その子(二世代)、さらにその子(三世代)にも健康上のみならず、多様な被害を被っている。したがって、症状の直接的な苦痛だけでなく、日常生活における障害
(不便さ)、経済的不利益、家庭崩壊、社会的信用の低下・疎外・孤立、さらに行政指導の不十分さのために患者やその子孫は理不尽な差別に苦しめられてきた。
 これはまさに、有史以来最大の人権侵害の一つで、かって、このような事例が他にあっただろうか。




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転載元: 安全は大切ですね

[転載]カネミ油症事件は人権侵害 カネミ油症患者には何の落ち度もない。しかも、贅澤品や嗜好品などという被害者が選択できるものではなく、日常的に摂取する絶対必要な食物の中に毒物が混入したのである

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カネミ油症事件は人権侵害

 カネミ油症患者には何の落ち度もない。しかも、贅澤品や嗜好品などという被害者が選択できるものではなく、日常的に摂取する絶対必要な食物の中に毒物が混入したのである。
 被害の予見、予防をすることもなく、被害の拡大を許し、狭い判断条件で多数の被害者を被害者として認めず、その救済を怠り、放置し、わずかばかりの補償金で沈黙させられ、しかも辛うじて勝ち取った行政責任の判決を喝に近い説得で取り下げさせ、しかも、和解後10年近くなって仮払金を督促してきた。本人の症状ばかりでなく、その子(二世代)、さらにその子(三世代)にも健康上のみならず、多様な被害を被っている。したがって、症状の直接的な苦痛だけでなく、日常生活における障害
(不便さ)、経済的不利益、家庭崩壊、社会的信用の低下・疎外・孤立、さらに行政指導の不十分さのために患者やその子孫は理不尽な差別に苦しめられてきた。
 これはまさに、有史以来最大の人権侵害の一つで、かって、このような事例が他にあっただろうか。




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患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙

患者急増 まるで野戦病院 カネミ油症50年の証言 元准看護士、うめき声 今も耳に 命絶った青年に涙
長崎新聞
 病室に漂う膿(うみ)のにおい、苦痛にゆがむ患者の顔−。長崎県五島市玉之浦町の元准看護師橋本たき子(80)は50年前を思い返すたびに、胸が締め付けられる。
 1968(昭和43)年春。30歳のたき子は、同町の診療所で働いていた。3月の末、訪れる小中学生が急に増えた。総じて脱力感を訴え、待合室の長いすに寝そべっていた。「学校をサボりたいのかな」。いぶかったが、よく見ると子どもたちの皮膚には発疹が目立ち、ひどく目やにが出ている。腹痛を訴える子も少なくない。奇妙だった。
 1カ月もたたないうちに成人患者も次々にやって来た。ほとんどが漁師。昼間は痛みに耐えて働き、夜、診療所の当直時間に人目を避けるように来院する。青年期の男性は症状が特にひどく、顔や背中、脇の下、内股などに、びっしりと重なるように吹き出物ができていた。患部に薬を塗ったりガーゼを取り換えたりしたが、膿は耐えがたいにおいを発した。
 夏になると診療所は患者であふれ返った。医師の指示で解毒薬を患者に点滴したが、すぐに病室も、点滴袋をつるす器具も足りなくなった。廊下や待合室に畳を敷き、点滴袋は壁や戸に直接ぶら下げるしかなかった。当直の際は、痛みにうめく入院患者に何度も呼び出された。「まるで野戦病院」。昼夜なく駆け回りながら、途方に暮れた。
 治療法はなく、病名すら付けられない状態。「このやぶ医者が!」。荒い漁師らは、一向に治らない“奇病”にいら立ち、医師に罵声を浴びせた。3人いた医師のうち、たき子と同年代で最も若い男性医師は特に怒りの矛先を向けられ、思い悩んでいた様子を覚えている。
 原因が分かったのは10月。「北九州市で製造された食用米ぬか油『カネミライスオイル』に有害なPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入していた」。役場から診療所にそんな連絡が入った。予想もしなかった知らせに、たき子は驚いた。そして新たな恐怖が湧き上がった。「自分たち家族も食べている」


◎黒い赤ちゃんに衝撃 自身と家族全員も重い症状

 たき子の家族にも、来院患者と同じような症状が現れていた。
 当時、夫と幼い1男3女の6人家族。全員の顔や背中、手脚などに吹き出物が出て、子どもたちは髪が抜けた。目が開かないほどの目やに、腹痛、鼻血−。学校は休みがちになった。
 原因の食用油は自宅近くの商店で、一斗缶から一升ずつ量り売りで購入。豚カツや天ぷら、ドーナツなどを作って家族にたくさん食べさせていた。事件が発覚する10月までに一升瓶で約5本分を使った。
 たき子自身、強い倦怠(けんたい)感や吹き出物に苦しみながら、患者が押し寄せる診療所で激務に追われる日々。家族や自らの体を顧みる余裕はなかった。
 油症の影響は、新たな命にも及ぶ。お産があるたびに、たき子は診療所近くの母子センターで医師と立ち会っていた。68年の暮れ、その赤ちゃんを見た時、悲鳴を必死でこらえた。皮膚はコーヒーを塗ったように黒ずみ、弾力がない。産声も、か細い。覚えているだけで、同様の赤ちゃんは12、13人が生まれた。
 集落ではいつの間にか「黒い赤ちゃんがまた生まれた」とうわさが広がった。皮膚の黒さは小学生になっても残り、歯がぼろぼろになる症状も目立っていた。
 2、3年すると、診療所には大腸がんや胃がんなどのがん患者が増えた。痛みに苦しみ、亡くなっていく患者をみとる一方、たき子も初期の子宮がんを発症。73年に摘出手術を受けた。夫や子も内臓や目の疾患に悩まされ続けた。
 長男を除く家族5人が油症と認定。国や原因企業カネミ倉庫、PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)の責任を問う集団訴訟では夫が1陣、たき子は2陣、娘3人が3陣に加わった。1陣の二審、3陣の一審では原告が勝訴し、夫と娘計4人の仮払金を国から受け取った。しかし、86年の2陣の二審判決で国とカネカの責任が否定されると、最高裁での敗訴の可能性が高まり、患者側は訴訟を取り下げた。10年後、国から仮払金返還を請求され、たき子夫妻は4人分の返済をほそぼそと続けた。長男は近年、油症認定された。
 今も夜中に目が覚めると、診療所で夜聞いた患者のうめき声が耳の中で響く。幼い頃から知っている青年が症状に耐えられず、命を絶ったこともあった。思い出すと涙が出る。
 「油症で人生を壊された人がいる。夢を持って生活していたのに突然絶たれた。その悲惨さを風化させてはいけない」。たき子の思いだ。
=文中敬称略=

カネミ油症事件の現況と人権 - 熊本学園大学

(Adobe PDF) - htmlで見る
www3.kumagaku.ac.jp/srs/pfd2/11-1-2/11-1-1.pdf
第6章 カネミ油症事件は人権侵害. 第7章 提言. 引用文献. はじめに、なぜ、今、油症か. 専門が神経精神医学である私には PCB 中毒といわれたカネミ油症事件は. 最初、 あまり関心がなかった。しかも、主な症状は皮膚症状と聞いていたか. ら専門外のことだ と思っていた。しかし、カネミ油症で PCB が胎盤を通過し. て胎児に影響を与えるという 報告を聞いた時に俄然関心が高まった。それは、. 私が1960年以来、胎児性水俣病の 調査をしており、従来、胎盤は毒物を通さ. ないというのが定説になっており、それがなぜ メチル ...


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www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/63/1/63_53/_pdf
本稿の課題は,食品公害問題であるカネミ油症の被害がどのような意味で救. 済され ていないのか,また不十分な補償がなぜ現在まで継続してきたのかを解. 明することに ある. まず,カネミ油症の被害に対する補償の現状を検討すると,類似する被害を. もつ 他の事例に比べて非常に手薄なものであった.現在の日本には,食品公害. の被害に 対応するための法制度が存在しないが,被害の認定と補償は根拠法な. き「制度」に もとづいて行われてきた.その内容は,法的にも実質的にも被害. 者の権利を尊重して いるとは ...




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kumagaku.repo.nii.ac.jp/index.php?...
う思いが強い一方、カネミ油症事件は切り捨て、被害者無視の連続の歴 で. あり、巨大 な人権無視の歴 であるとの結論に達した。このような人権侵害. を看過することは できないという思いで、患者たちの人権侵害救済申し立て. を支援する意味でもまとめた ものである。 また、このまとめは、2005年2月11日の「徹底討論 食品 害における認. 定 制度の検証、水俣病、カネミ油症の認定基準の変 に向けて」という討論. 集会で報告 したものである。 第1章はカネミ油症事件が単なる偶然でなく、歴 的な必然性が ...




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www.nichibenren.or.jp/library/ja/.../hr.../060417.pdf
このPCBの処理に. は、多額の公費が使われている。 (3)カネミ油症被害者の現状と 人権侵害. ① 申立人ら油症被害者たちのおかれた現状は悲惨であり、深刻な人権侵害の状態に. ある。医療から見捨てられ、生活に苦しみ、そして今も差別や偏見をおそれて 暮ら. している。その人権侵害は、社会生活の全般に及ぶ極めて深刻なものである。 ② 油症被害者は、中毒初期に特徴的にみられたクロルアクネと呼称される皮膚症状. に とどまらず、「病気のデパート」と称されるような全身病に苦しんでいる。


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www.nichibenren.or.jp/activity/.../year/.../100526.html - キャッシュ
3月31日、「油症患者健康実態調査の解析に関する懇談会」による「油症患者に係る 健康実態調査結果の報告」が発表された。同報告によると、いまだに多くの被害者が 悲惨かつ深刻な問題を抱えながら生活を続けていることが確認された。 当連合会は、 カネミ油症事件の被害者からの申立てを受け、2006年4月17日、国のカネミ油症被害 者に対する人権侵害性を認定したうえで、国に対し、立法措置も含め、 (1) 被害者 に対する仮払金債権を一律に全額免除する措置をとるとともに、 (2) 国が主体となっ ...






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www.moj.go.jp > ... > 人権擁護局フロントページ - キャッシュ
救済手続を開始し,調査を行った場合,調査結果に基づき人権侵害が認められるか どうかを判断し(※1),必要に応じて以下の措置(※2)を講じます。 ○措置一覧 援助 関係機関への紹介,法律上の助言等を行います。 調整 当事者間の関係調整を行い ます。 説示・勧告 人権侵害を行った者に対して改善を求めます。 要請 実効的対応が できる者に対し,必要な措置をとるよう求めます。 通告 関係行政機関に情報提供し, 措置の発動を求めます。 告発 刑事訴訟法の規定により,告発を行います。 啓発 事件 の関係者や ...




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www.himesyara.com/lawyer - キャッシュ
所属弁護士 ひめしゃら法律事務所は、離婚、夫婦や親子のこと、DV(配偶者・恋人への 暴力)、職場で働くことをめぐる様々な悩みや疑問、近隣とのトラブル、行政による人権侵害など、女性の権利、子どもの権利、労働者の権利などに関する事案を得意として. ... また、カネミ油症の被害回復訴訟、原野商法による被害者グループの訴訟など、いくつ かの消費者被害回復要求にかかわっています。 2つめのグループは環境問題です。椿 峰(狭山丘陵)、御殿山(品川)、赤羽北口、府中日鋼跡地、多摩丘陵など、いずれも 開発 ...
ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/sc/file/1479/.../SC20050000109.pd...
2~ 人権侵害の広がり. 2-ー' 多様な実態. 2~2~ イ扁見・差別と油症のイメージ形成. 2,3. 調査の欠如と記録の破棄. 2~4- 人権侵害の背景. 3, 結び. 本稿はカネ三雲由症に 関わる被害と人権侵害が通常. 考えられるより も広く深いことを示そうとするもの. であ るー)- すなわち, カネ ミ油症の被害の範囲は,. 発病の時期, 発生地域, 病像, 汚染の 原因のどの側. 面を見て ...... りブカネミ油症人権侵害に関する意見書」. (2005年ー0 月6日) をもとにしている〟. 2004年4月以降, カネ ミ油症の被害者5ー9人が相. 次いで 人権救済を ...
twitter.com/hashtag/カネカ - キャッシュ
See Tweets about #カネカ on Twitter. See what people are saying and join the conversation.
twitter.com/hashtag/カネミ油症 - キャッシュ
カネミ油症事件に関しては、「ここまで分かっていながら、なぜ􌗉」、という思いが強い一方 、カネミ油症事件は切り捨て、被害者無視の連続の歴史であり、巨大な人権無視の歴史 である。このような人権侵害を看過することはできない#カネミ油症 #カネカ # ダイオキシンhttps://twitter.com/mitani2/status/16606254457683968… 中年老い 易く学成り難し added,. mita2 @mitani2. 「「PCBやダイオキシン類の油症被害は私 たちだけの問題ではない」と指摘

転載元: 公徳心やコンプライアンスを持ちましょう カネミ油症の不条理

[転載]日弁連曰く 株式会社カネカから和解金等の支払を受けていないカネミ油症の被害者に対し、既に和解金等の支払を受けた者と均衡を失しない金額の金員を支払うこと。

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うなじから背中にかけて黒くて細かい吹き出物が出た女性の写真と、輪が出来たロープが天井から吊り下がっていた部屋の写真が頭に焼き付いている。
解説を読むといつでも死ねるようにと、天井からロープを吊り下げていたそうだ。

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2006年4月17日

株式会社カネカ
代表取締役社長 V 殿

日 本 弁 護 士 連 合 会
会長 平 山 正 剛

要 望 書
当連合会は、カネミ油症人権救済申立事件について調査した結果、貴社に対し、下記のとおり要望します。

第1 要望の趣旨
1 申立人らのうち、株式会社カネカから和解金等の支払を受けていないカネミ油症の被害者に対し、既に和解金等の支払を受けた者と均衡を失しない金額の金員を支払うこと。

2 国が行うべきカネミ油症の治療方法の研究・開発等に関する事業並びにカネ
ミ油症の被害者に対する医療費、医療関連費及び生活補償費の支給に関する事
業に対し、相当額の金員を支出して協力すること。

第2 要望の理由
 別添調査報告書記載のとおり
以 上

3 株式会社カネカに対し、以下のとおり要望する。
(1)申立人らのうち、株式会社Yから和解金等の支払を受けていないカネミ油症の被害者に対し、既に和解金等の支払を受けた者と均衡を失しない金額の金員を支払うこと。

(2)国が行うべきカネミ油症の治療方法の研究・開発等に関する事業並びにカネミ油症の被害者に対する医療費、医療関連費及び生活補償費の支給に関する事業に対し、相当額の金員を支出して協力すること。

2 申立の理由
(1)申立人について
 申立人らはX(カネミ倉庫)が製造・販売したカネミライスオイル(以下「ライスオイル」という)を摂食し、または、摂食した母親から生まれた子らであるが、いずれも、ライスオイルに含まれていたポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)などのダイオキシン類及びポリ塩化ビフェニール(PCB)などの有害化学物質中毒によって、治癒が困難な健康被害(以下「カネミ油症」という)を引き起こされた者らである。

 申立人らは、「油症研究班」の診断により都府県から油症患者と「認定」された者及び未認定の油症被害者である。認定された油症患者は、Xから少額の「見舞金」や「油症券」の交付をうける外、訴訟により一定の和解金を取得した者もいる。しかし、極めて一部の者を除き、損害賠償金の全額を受け取った者はいない。

 申立人らには、未認定の油症被害者が存在する。申立人らは、食品衛生法でいう「食中毒患者」であるが、通常の食中毒事件とは異なり、カネミ油症においては「診断基準」が作られ、要件をみたし、「認定」された者が「患者」とされ、膨大な未認定の「食中毒患者」を残している(1969年に届出を行った1万4320名中、認定を受けた者は申立時現在1867名で13パーセントにすぎない)。


油症被害者へは、Xの「油症券」により医療費の自己負担分や医療関連経費の一部支払が行われているが、極めて不十分であるほか、Xによって恣意的に運用されており、およそ恒久対策の名に値しないもので、年々先細りしている(2005年度で約5000万円)。被害者には他にどこからも支援措置はない。

(2)相手方について
 国の担当行政機関は、食品衛生法及び国民の医療、社会保障を担う厚生労働省及び仮払金返還問題を担当する農林水産省である。
Xは、原因食品のライスオイルを製造・販売した直接の加害者である。

 カネカは、直接の原因物質であるカネクロール400を製造し、Xに供給した原因企業である。Yは、戦後日本のPCBの大半を製造、供給していた。このPCBの処理には、多額の公費が使われている。

(3)カネミ油症被害者の現状と人権侵害
① 申立人ら油症被害者たちのおかれた現状は悲惨であり、深刻な人権侵害の状態にある。医療から見捨てられ、生活に苦しみ、そして今も差別や偏見をおそれて暮らしている。その人権侵害は、社会生活の全般に及ぶ極めて深刻なものである。

② 油症被害者は、中毒初期に特徴的にみられたクロルアクネと呼称される皮膚症状にとどまらず、「病気のデパート」と称されるような全身病に苦しんでいる。

③ 発生から30年以上経った今日でも、油症被害者の体内には通常人よりも数倍から数十倍のPCBやPCDF等のダイオキシン類が残留し、汚染がいまだに継続し
ていることが、油症研究班の調査によっても判明している。

 事件発生時、母親の胎内で曝露、あるいは母乳を通じて曝露された子が成長し、
母となって産んだ子供から「コーラベイビー」と呼ばれるいわゆる「黒い赤ちゃん」
が生まれている。しかし、このような世代間の被害の拡がりは、胎児期や乳児期に
曝露された子供たちに対するその後の影響や、同人らの生殖に与える影響などとと
もに、医学上も社会的支援の上でも全く無視されている。

④ 生活苦と仮払金返還問題
 油症被害者は、様々な疾病に長期にわたり罹患し、そのことから満足に働くこと
ができず、生活に苦しんでいる者も少なくない。また、これに加えて仮払金返還問
題がある。
 
 この仮払金返還問題は、油症被害者を、癒えぬ病状に加えて二重三重に苦しめている。仮払金の支払義務を負う者は、この義務を負った当時未成年者だった者も少なくなく、支払義務を負うことで結婚を諦めたり、このことを隠して結婚したり、
発覚を恐れたりしながら暮らしている者や、このことが発覚して離婚した者もいる。
仮払金の問題により前途を悲観し、自殺した者もいる。

⑤ 未認定問題
 油症被害の届出は、1969年7月1日現在で1万4320人である。これ以降公式の届出数は公表されていない。これに対し、認定された油症被害者は申立時現在1867人で認定者の割合は13パーセントである。この「認定」率は食中毒事件としては極めて異常である。

 カネミ油症事件は、食中毒事件であるにもかかわらず、最終的な報告文書はどこ
にも存在しない。この異常に低い「認定率」は、初期の「皮膚症状」に偏った「診
断基準」による患者切り捨て以外の何ものでもない。食品衛生法の規定とおよそか
け離れた検診・認定制度によるものである。通常の食中毒事件においては、医師の
届出・保健所による調査により「認定」されるが、カネミ油症事件では、法にない
「認定制度」により、多数の未「認定中毒患者」が生み出された。

 また、カネミ油症被害に対する「恒久対策」がないことから、「苦労」して「認定」
してもらっても実りは少なく、このことが被害者を検診に消極的にさせている。

⑥ 社会的な差別や偏見
 これまで油症被害者は数々の社会的差別を受けたり、周囲から偏見の目で見られたり、場合によっては家族同士の間でもいわれない差別と屈辱的な扱いを受けたりしてきた。例えば、「黒い赤ちゃん」が生まれた女性の場合には、黒人と関係してできた子ではないのかと疑われたり、周囲からこのような噂をたてられたりす
るケースもあった。
 また、子どもの結婚に支障が出ることを恐れて、子どもにさえも自身が油症被害者であることを秘密にせざるを得ないといった家族も多く生じた。
 仮払金の返還請求書を国から受け取った者が、はじめて自分が油症被害者から生まれた子どもであることを知って、前記のとおり、離婚したり、前途を悲観して自
殺したりした場合もあった。

(4)カネミ油症被害者の苦難は何故もたらされたのか
① カネミ油症被害については、国やY、X等を相手に訴訟が提起され、下級審で7
つの判決が下されたが、最終的には1989年3月までに全ての原告とX、Yとの
間で和解が成立し、他方、国に対する訴えは取り下げられて終結した。

 このように、カネミ油症事件は訴訟上は一応の決着を見たのであるが、油症被害
者らにとって「解決」はなかった。
 それは、油症被害そのものが、本来、未知の化学物質による被害として、金銭賠
償を原則とする訴訟のみでは解決し得ない性質と拡がりを内包するものであったか
らである。国は、訴訟とは別に食中毒事件として、食品衛生法に基づく調査を徹底
して実施し、「食中毒患者」としてその症状を把握しておくべきであった。
 改正前の食品衛生法27条に規定された「中毒に関する届出、調査及び報告」は、ほとんど履行されていなかったのである。

 このように、カネミ油症事件においては、事件全体に関する調査・報告が欠落していることが、被害に関する全体の正しい把握を困難にし、その後の対策を樹立する上での困難を決定的なものにした。カネミ油症を「未知の」「慢性食中毒事件」として調査し、患者の苦難に対処するという医療・生活面での恒久対策は、今日に至るまで何も行われていない。

 また、国は、訴訟の「終結」と離れて恒久対策を確立すべきであった。水俣病公
害事件、スモン薬害事件、薬害エイズ事件等の様々な事件において、国はその責任の有無を離れて、被害者救済の立場から恒久対策を確立してきた。
 しかし、カネミ油症事件では、医療面・生活面いずれをとっても国の関与する恒久対策は全くない。
 これは、他の事件に比べて著しく不平等である。

② 企業の対応の問題点
(ア) カネミ倉庫は、資力がないことを理由に損害金の支払を怠り続けている。「油症券」による治療費などの一部支払は、その支払基準に「明確な基準」はなく、被害者らからは「恣意的」と評価されている。
 国は、油症券による医療費の支払のための「X支援」として、Xの倉庫を利用することによりカネミに対して「保管料」を支払い、その額は年間1億円を超えるが、その内油症券の支払は半額以下の約5000万円となっている。この点から見てもXが、損害金の支払を怠る理由はない。

(イ) 株式会社カネカは、最高裁判所での和解を根拠として、カネミ油症事件に関する訴訟終了後に新しく認定されたカネミ油症の被害者(以下「新認定被害者」という)への和解金の支払を拒んでいるが、支払を拒む合理的根拠はない。
 株式会社カネカは、我が国におけるPCBのほとんどを製造・供給した企業である。このPCBの処理に、現在まで莫大な公費が支払われていることを考慮すれば、Yが油症被害者に支払を拒み続けることについて、社会的理解を得ることはできない。
 また、認定された油症被害者との間で既にされた和解の内容が新認定被害者まで拘束するものとすることは法律上不当である。

(ウ)油症研究班の問題点
 油症被害者が放置されてきたことについて、「油症研究班」の責任は、その医学・専門性に鑑みれば軽くない。また、油症研究班が法的に根拠のない「診断基準」で、法にない食中毒患者の「認定」方法をとることによって多くの患者を切り捨ててきたことは不当である。また、油症研究班が、油症被害者の長期の疫学調査を怠ってきたことは、治療・研究の障害となっている。

 化学物質中毒にもかかわらず、皮膚科を中心とした油症研究班が構成されたこと、また、それが継続されてきたことに根本的原因がある。

第3 調査の経過(略)

第4 認定した事実
1 カネミ油症事件の概要
(1)カネミ油症事件とは
 カネミ油症事件とは、米ぬか油であるライスオイルを製造・販売していたXが、製
造工場の脱臭工程において、Y(当時の商号は鐘淵化学工業株式会社)の製造に係るPCB(ポリ塩化ビフェニール)製品である「カネクロール400」を加熱炉で25
0度まで加熱した上、ステンレス製パイプに送り込んで脱臭塔内のライスオイルに熱
を伝えて脱臭する仕組みをとっていたところ、ライスオイルにカネクロール400が
混入し、これが販売されて消費者が摂食したことによって発生した化学性食中毒事件である。

(2)事件の発生と原因物質
 1968年2月頃から10月頃にかけて、北九州を中心とする西日本一帯で、皮膚、
爪、歯茎が黒変(メラニン色素の沈着による)し、全身にニキビ状の発疹(クロルア
クネと呼称される)ができ、目やにがひどく、手足がしびれるという奇病が発生した。
1968年10月14日には、九州大学、久留米大学、福岡県衛生部を中心とした
油症研究班が組織され、また、同年10月19日には厚生省による米ぬか油中毒事件対策本部(以下「対策本部」という)が設置されて、原因物質の究明が開始された。
 1968年11月4日、油症研究班は、油症被害者が食べたライスオイルに含まれ
たPCBが原因物質であると発表し、対策本部も、1969年3月、同様にPCBが
原因物質であると断定した。
 その後の研究により、1974年には、油症の主な発生因子は、PCBの加熱によ
り生成されたPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)であることが判明し、1983年6月の全国油症治療研究班の会議において、PCDFが原因物質の一つであることが確認された。PCDFは強毒性のダイオキシン類である。その毒性はPCBの数千倍で人体への残留性と毒性が特に強く、肝臓や皮下脂肪に残留する性質のものとされて
いる。

 その後、1987年までには、原因物質にコプラナーPCBも含まれていることが
発表された。コプラナーPCBは、PCBのうち特に毒性の強い同族体の化学物質で
あり、同じくダイオキシン類の一つである。


10 カネカのカネクロール400の供給に当たっての危険性の警告状況と油症被害への対応

(1)カネクロール400をXに供給するに当たっての危険性の警告状況

 カネカは、1954年に日本で最初に「カネクロール」という商品名でPCBの製造を
開始し、1957年ころから熱媒体用途の製品として生産・販売を拡充していった。

しかし、PCBの毒性については、労働科学研究所の野村茂元熊本大学医学部公衆衛生学講座教授が、PCBの動物実験により、極めて激しい中性脂肪変性を起こして死に至ることや、PCBが皮膚疾患を起こすこと、また、それにとどまらず、PCB
が皮膚を通じて体内に入り込み、肺、腎臓、副腎に一定の変化を起こすことを究明し、このような研究成果を労働科学研究所発行の「労働科学」1949年11月10日号に発表していた。また、同人は、1953年ころ、科学工業協会安全衛生委員会に提出した「有害な科学物質一覧表」にPCBを挙げ、その中でPCBを体内に取り込むと肝臓障害や塩素ニキビが起きることを指摘していた。

 Yは、日本で他の企業に先立ってPCBの生産を開始したものであるが、PCBを
食品の熱媒体用として製品化するに当たり、それが人体に危険を及ぼすおそれの高い分野であるにもかかわらず、独自に動物実験を行ってその毒性の程度や生体に対する有害性を確かめたり、又は他の研究機関に調査を委託したりするなどしてその安全性を確認したという事実は認められない。

 また、YがXにカネクロール400を販売するに当たって、PCBの危険性について周知徹底を図っていたという事実も認められない。Yのカネクロール400のカタログには、「カネクロールは塩素化合物として若干の毒性をもっていますが、実用上ほとんど問題となりません」「皮膚に付着した時は石鹸洗剤で洗って下さい。
 もし付着した液がとれ難い時は、普通の火傷の手当で結構です。」「カネクロールの大量の蒸気に長時間曝露され、吸気することは有害です。カネクロールの触媒装置は普通密閉型で、作業員がカネクロールの蒸気に触れる機会はほとんどなく、全く安全であります。」といった記載がなされている程度であった。

(2)油症被害への対応
 前記のとおり、1987年3月20日、最高裁において、原告とYとの間で、上告審係属中の二つの事件に下級審継続中の全ての訴訟の原告が利害関係人として参加した全訴訟一括和解方式による和解が成立した。

最高裁の和解成立時までに、Yは合計約86億円を支払っていた。

その内訳は、
①一連のカネミ油症事件に関する訴訟の仮払仮処分、下級審の判決に基づく仮執行による約77億円、

②1978年7月の確認書に基づく660人の未訴訟油症被害者への見舞金8億5800万円である。
カネミ油症事件に関するYの支払総額は約105億円となっている。なお、仮執行
の金額が見舞金を超えている場合で、本来カネカに対して返還されるべき金額は和解条項に基づく計算上約48億円となっているが、返還はされていない。

他方、カネカが和解後に認定された油症被害者に対し、和解した者と同様に支払措置を講じたという事実は認められない。

4 カネカに対する申立について
(1)食品の安全性は、食品製造業者に高度の安全確保義務を課すことだけで確保され得るものではなく、食品の製造工程において、食品の安全性に重大な影響を及ぼすおそれのある危険な資材・原料・装置等を提供する関連業者の安全確保のための取り組み等の寄与があって、はじめて万全のものとなることはいうまでもない。

とりわけ、PCBのような人体に極めて有害な合成化学物質は、万一、食品を介し
て人体に直接摂取されるようなことになれば、多数の人の生命・身体に計り知れない害悪を及ぼす危険性があるのであるから、供給者においては、その危険性につき事前に十分調査し、需用者に可能なあらゆる手段を尽くしてその物質の危険性を正確に認識させ、安全性の確保の重要性につき十分に注意を喚起させるべきである。

(2)カネカがカネミ倉庫へ供給したカネクロール400は、閉鎖された循環系での使用を前提としたものであるが、カネミは、万一、それが漏出して製造過程でライスオイルに混入して食品として出荷されたならば、人体にどのような危害を与えるのかにつき、十分に調査・研究を尽くし、その調査・研究の結果に基づき、Xに対し、カネクロール400の使用にあたっての危険性の警告及び情報の提供をなすべきであった。

 ところが、前記のとおり、Yは、PCBの危険性につき、事前に十分に調査・研究
し、Xに対して必要な警告を尽くしたとはいい難い。

 Xがカネクロール400を出荷した行為は、食品製造業者として著しい過失が認め
られるが、そこにはカネクロール400の危険性に対する認識不足も起因していたも
のと認められる。仮に、YからXに対し、カネクロール400の人体への有害性に対
する十分な警告と情報の提供がなされていれば、Xのカネクロール400の危険性に
対する認識が変わっていた可能性、ひいては、Xによるカネクロール400が混入し
たライスオイルの出荷が防げた可能性は否定し難い。したがって、Yには上記の警告並びに情報提供をする義務を怠った過失による人権侵害性が認められるというべきである。

 その上、カネカについての和解が成立して7年を経過した後の1994年には、我が国においても製造物責任法が制定され、製造者に厳格な責任を課すことが製造物による被害の防止と救済を図ることに資すること、そして、それが、社会の要請でもあるという考えが確立されてきていることに照らしても、人体に有害なPCB製品のカネクロール400を製造して食品の製造工程に利用させる目的でカネミ倉庫に供給したカネカには、企業の社会的な責任という観点からしても、現在もなお続いている悲惨かつ深刻な油症被害の救済を行うことが求められると考える。

 また、カネカが見舞金を支払った油症被害者は、和解をした油症被害者に限られており、そうでない油症被害者との間には大きな対応の格差が存在するのであり、この点についても、侵害されている油症被害者の人権の救済という観点から見逃すことはできない。

(3)以上から、カネカに対しては、前記のとおり要望する。

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大株主の状況

株主名 株式数
(千株) 持株比率(%) 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 日本生命保険相互会社 株式会社三井住友銀行 明治安田生命保険相互会社 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口4) 株式会社三菱東京UFJ銀行 BNYMSANV AS AGENT/CLIENTS LUX UCITS NON TREATY 1 三井住友海上火災保険株式会社 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口9)
17,6765.39
16,6815.08
15,5704.74
15,4584.71
14,1254.30
13,3424.07
11,5443.52
10,7683.28
10,5243.21
8,5112.99

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昭和化成工業株式会社

所在地
埼玉県羽生市
TEL
048-561-5221
事業内容
塩ビコンパウンドの製造販売
資本金
62百万円(カネカ71.37%)

龍田化学株式会社

所在地
東京都中央区
TEL
03-3661-6591
事業内容
塩化ビニール樹脂の成形加工及び販売
資本金
300百万円(カネカ70.59%)

サンビック株式会社

所在地
東京都墨田区
TEL
03-5611-6535
事業内容
塩化ビニール樹脂等の成形加工及び販売
資本金
202百万円(カネカ64.55%)

役員一覧

(2017年6月29日)
代表取締役会長 代表取締役社長 取締役副社長 取締役専務執行役員 取締役常務執行役員 社外取締役 監査役 常務執行役員 執行役員
菅原 公一
角倉 護CSR委員会委員長
田中 稔Quality of Life Solutions Unit担当兼R&D企画部・経営企画部・グローバル企画部担当兼CSR委員会副委員⻑
亀高 真一郎Material Solutions Unit担当兼Material Solutions Research Institute・原料部担当兼Performance Polymers Solutions Vehicle 事業部⻑
岩澤 哲⽣産技術担当兼保安担当兼⽣産技術研究所・プロセス開発研究所・太陽電池・薄膜研究所・知的財産部・資材部担当兼CSR委員会副委員⻑
天知 秀介Nutrition Solutions Unit担当兼新規事業開発部・OLED事業開発プロジェクト・BDP事業開発プロジェクト担当
石原 忍CSR推進部・IR・広報部・法務室・経理部・財務部担当兼財務部⻑兼CSR委員会委員
藤井 一彦Health Care Solutions Unit担当兼Health Care Solutions Research Institute担当兼Kaneka Americas Holding, Inc.(取締役社⻑)兼Kaneka North America LLC(取締役社⻑)
塗 靖明業務改革部・総務部・秘書室担当兼秘書室長
井口 武雄
毛利 衛
松井 英行常勤
岸根 正実常勤
藤原 浩
魚住 泰宏
川勝 厚志⽣産技術・エンジニアリング部⻑兼CSR委員会委員
青井 郁夫Foam & Residential Techs Solutions Vehicle 事業部⻑
穂谷 文則⼈事部⻑兼CSR委員会委員
木村 雅昭Medical Devices Solutions Vehicle 事業部⻑
武岡 慶樹新規事業開発部長
泥 克信PV & Energy management Solutions Vehicle 事業部長
榎 潤Foods & Agris Solutions Vehicle 事業部長
鷲見 泰弘業務改⾰部⻑兼 IoT Solutions 室⻑
牧 春彦滋賀⼯場⻑兼⽣産技術研究所PI⾰新プロセスグループリーダー
西村 理一E & I Technology Solutions Vehicle 事業部⻑
岡部 貫セメダイン株式会社(社長)
小森 敏生経営企画部⻑兼経営企画グループリーダー兼事業統括グループリーダー
安田 尊宗Health Care Solutions ResearchInstitute 所⻑
矢原 均Pharma&Supplemental Nutrition Solutions Vehicle 事業部長兼Health Care Solutions Research Institute 副所長
上田 正博生産技術研究所長
石橋 拓朗
Kaneka Americas Holding,Inc.



転載元: 法律違反を考える


[転載]第2章 カネミ油症患者と台湾油症患者の症状

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第2章 カネミ油症患者と台湾油症患者の症状

原田正純は油症を「全身病」「病気のデパート」と形容した。被害者の検査は定期的に行
なわれているが、具体的な治療法は確立されておらず、被害者の高齢化もあいまって、検査
に訪れる人は年々少なくなっている。またPCBs は内分泌攪乱化学物質の疑いがあるため、
被害者の子ども、その孫にも実質的に被害が及んでいると推測される。
原田正純は症状を次のように分類している。

①皮膚系疾患、②腫瘍系疾患、③婦人科系疾患、④男性泌尿器生殖系疾患、⑤内科系疾患、
⑥骨・関節系疾患、⑦自律神経・神経系疾患、⑧精神症状など(原田正純2010:22)。
更に、彼は油症関連の疾患は全て非特異的疾患で、その疾病の合併率(重積率)は尋常で
はないと述べている(原田正純2010:14)。
第二世代油症患者の症状について、日本の場合に関しては、原田正純は次のように述べて
いる。
「メチル水銀と異なって神経麻痺などは見られなかったが単に皮膚が黒かったわけで
はない、小児期汚染も含めてであるがメニエル症候群、出血、骨異常、低身長・低体重、
全身倦怠や咳・たん、風邪を引きやすい、喘息、腹痛・下痢、頭痛、めまいなど自律神経
系、内分泌系などの障害が目立っていた。」(原田正純2010:7)
坂下栄(生物学者、故人)は日本と台湾の被害者を比較して
①排泄が悪く、数十年におよび癌をはじめ全身病として発症し続け、次世代にも影響していること。
②不定愁訴、自律神経系障害が特徴的であること。
③男女ともに生殖器に関わる疾病が顕著である。女性では卵巣癌、子宮癌、子宮内膜症など。男性では前立腺癌、前立腺肥大が多いこと。
④女性に甲状腺異常が多発していることなどを共通点としてあげている(坂下2004:59―63)。

ポリ塩素化ビフェニル(PCBs)はビフェニルの水素を塩素に置換したものであり、塩素の
数(1~10 個)と置換位置の違いにより209 種類の同族体がある(図1)。市販されていた
PCBs は同族体の混合物である。分子量は188.7~498.7 である。一般に、塩素が多くなる
ほど、融点(25~306 ℃)および沸点(285~456 ℃)は高くなり、常温での性状は液体か
ら固体になる。水には不溶で、油や有機溶剤に可溶である。日本においては1954 年に鐘淵
化学工業株式会社(現、株式会社カネカ)が初めて「カネクロール」という製品名でPCBs
を製造し始めた。筆者は2017 年10 月14 日兵庫県高砂市カネカ高砂工業所のPCBs 盛立地
などを見学し、現在でも、低濃度のPCBs は焼却で処理されたが、高濃度のPCBs は処理しき
れずまだ大量に保管されていることを確認した。なお、PCBs は、当時の日本では、同社の
ほかに、モンサントの日本法人である三菱モンサントも販売していた[注7]。ちなみに商
品の規格として、鐘淵化学のKC-500 はカネクロール(500=5 塩素置換体)を、三菱モンサ
ントのAr.1254 はArocrol(アロクロール、12=PCB、54=塩素54%、KC-500 相当品)を表し
ている[注8]。

なお、油症事件を経て、PCBs の毒性が明確になった。さらに各地のPCBs 汚染が社会問題
化し、1972 年の生産及び使用の中止等の行政指導を経て、「化学物質の審査及び製造等の規
制に関する法律」(1973 年制定、1975 年施行)に基づき、1975 年に製造および輸入が原則
禁止された[注9]。


公衆衛生学者の宮田秀明により、台湾の場合、熱媒体に使われていた鐘淵化学工業社製の
PCBs 製品である、塩素含有量が48%のKC-400 と塩素含有量が54%のKC-500 が混入したラ
イスオイルの摂取により、カネミ油症とほぼ同一の症状を呈したことを明らかにしている
(宮田1999:55)。
そして、油症被害について、郭育良医師(台湾大学医学部)の調査によると、当時日本の
被害者は633mg のPCBs、3.4mg のPCDFs を摂取していた。台湾の被害者は平均973mg のPCBs、
3.84mg のPCDFs を摂取していた(郭育良2010:5)。





表1 によると、カネミ油症原因油のPCBs 及びPCDFs 濃度は台湾油症原因油濃度より10 倍
以上高いことがわかっている。
表2 によると、カネミ油症の場合は、症状が出るまで摂取した量は台湾油症より多い。し
かし、被害者が摂取をやめるまでの摂取量、すなわち、全摂取量は台湾油症より少ないこと
がわかっている。

郭育良の調査によれば、台湾油症被害者は、平均して9 ヶ月油を摂取した結果発症してい
る[注14]。それに対して、日本の場合は、PCBs 混入米ぬか油を2~6 ヶ月間にわたり不定
期に摂取した結果発症している[注15]。さらに、台湾では油を使用した料理が多く、ほぼ
日常的に汚染油を摂取していたと推測されるので、台湾油症の場合は、原因油の総摂取量は
カネミ油症の場合より多いと考えられる。

また、 第一薬科大学の増田義人は次のように論述している。

「台湾油症患者のPCBs、PCDFs 及びPCQs の一人当たりの全摂取量はそれぞれ473、
3.84 及び490 mg であり、潜伏期間中の摂取量はそれぞれ 302、1.26 及び192 mg であっ
た。これらの摂取量は福岡油症患者の摂取量とそれぞれほぼ同じ値であった。台湾油症患
者の毒性油の摂取量は福岡油症患者の摂取量の約20 倍であったが、台湾油症患者が摂取
したライスオイル中のPCBs、PCDFs、PCQs 濃度は福岡油症患者のライスオイルのそれぞ
れの1/10~1/20 であったからである。」(増田2000:52)

さらに、宮田秀明によれば、油症原因油の毒性の寄与度は、PCBs が10%程度、PCDFs が90%
程度、PCQs が0%であることが明らかとなっている(藤原寿和あて電子メール2017 年[注
16])。

従って、台湾の場合は毒性を持つ発症原因因子であるPCBs 及びPCDFs 総摂取量が日本カ
ネミ油症の場合と近似するので、両事件はほぼ同一レベルのダイオキシン汚染による中毒
症状とみなすことができる(宮田1999:56)。

カネミ油症被害者である矢野トヨコ(故人)らは1983 年台湾を訪問した時、作った報告
書の中で、「現在皮フ症状は徐々に軽快しつつある、食生活の違いから、日本よりも台湾の
方が、発症に程度の差があり、重症者が多い」と述べている。また、恵明学校で被害者に会
った時、「十四歳の男子は、吹出物が次々に出来て、手術の回数は数えきれないほどである。
手、足の爪は完全に真黒であった。墨を固めたような感じである。その男子の血中PCB 濃度
は1,500ppb 以上で最高だった。日本でもそのような例はなかったのである。」[注17]と述
べている。

また、宮田秀明によれば、カネミ油症でのメラニン色素により黒化した爪の変形頻度は約
23%であるが、台湾の油症では約68%ときわめて高い。なお、全身的障害としての手足の
しびれや頭痛は、約30%のカネミ油症患者で起こる。この頻度は台湾の患者でもほぼ同じ
である(宮田1999:58)。

一方、社会学者堀田恭子は次のように述べている。

「資料(国民健康局2006『国民健康局九十四年度科技研究発展計書 健康風険及政策
評估中心 環境健康風険評估・管理興溝通組』)によれば、台湾と日本の主な違いは、
2 点ある。第1 に台湾が被害者の年齢が比較的、若いことであった。台湾では被害者全
体のうち10-19 歳が最も多く、日本ではどの年齢も平均的であった。第2 に台湾は日
本ほど症状が重くないことである。」(堀田2016a:24、堀田2016b:29)
堀田恭子は『国民健康局九十四年度科技研究発展計書 健康風険及政策評估中心 環境
健康風険評估・管理興溝通組』(2016)を参考にしているが、その中に葛應欽医師[注18]
の論文「多氯聯苯中毒之流行病學研究」(1981)の以下の部分を引用している。


出所:国民健康局2006『国民健康局九十四年度科技研究発展計書 健康風険及政策評估中
心 環境健康風険評估・管理興溝通組』203 頁の「表4-3-5 台湾及日本油症患者的
比較」の日本語訳(筆者訳)。なお、オリジナルの資料出所は葛應欽1981「多氯聯苯中
毒之流行病學研究」『臺灣醫學會雜誌』1981 年80 号406-17 頁(改変して引用)。葛應
欽著「多氯聯苯中毒之流行病學研究」によれば、日本油症患者の資料は『福岡医学雑誌』
(1969)[注21]を参考にしている。

表3 によると、比較された油症患者数について、台湾の場合(1979 年4 月~1980 年2 月)
は1,451 名、日本の場合(1968 年3 月~1969 年1月)は325 名である。しかしながら、台
湾の場合は、認定基準がなくて、登録制度である。患者は自らの症状などを根拠に申請して
油症患者として登録される。故に、台湾油症患者1,451 名の症状は医師の診断によるもので
はなくて、自己申請である。さらに、血液検査結果のPCBs 濃度はゼロの患者がいるので、
登録患者の中には油症でない患者も含まれていると思われる。従って、この表では台湾油症
患者の症状は平均第1級とされている。なお、台湾では皮膚症状を中心に0~4 級に分けて
いて、4 級が最も重症とされている。台湾の患者は多くは1 級、日本の患者の多くは2 級と
みなされているので、日本のほうが重いと台湾の医学界では考えられている。なお、台湾の
学者の中で、「日本のほうが重い」(葛應欽ほか)と「日本、台湾ほぼ同じ」(郭育良ほか)
という2 つの意見がある。

『福岡医学雑誌』(1969)における日本油症患者325 名は全て「油症診断基準」(1969 年)
によって、認定された患者である。この「油症診断基準」は皮膚症状が中心であって、その
他の症状を認識するまでには至らなかった。このため、認定患者数が少なかったと考えられ
る。そして、この基準について、原田正純は次のように評価している。
「発見直後であったために、皮膚症状が中心の診断基準となったことはやむを得ない
事情があったと認めたにしても、その基準で多くの患者が油症と診断されたとは到底思
えない。全身症状は完全に無視されているものの、しびれ感、関節痛などはすでに拾われ
ていた点には注目すべきであろう。」(原田正純2010:30)

『福岡医学雑誌』(1969)によれば、福岡県衛生部では、患者の実態を把握するため患者
の届出を要請したが、1969 年1月までに県下各保健所に6,611 名の患者が届け出された。
その中で、認定されたカネミ油症患者は325 名であった。しかし、実際は多くの患者が認定
されなかったかもしれない。葛應欽による表5([注20]にあり)はほぼ皮膚症状によって、
油症患者の症状の重さを分類するので、認定されたカネミ油症患者325 名は平均第2 級と
評価している。しかし、カネミ油症届出患者6,611 名は台湾登録患者1,451 名と比べると、
堀田恭子の「第2 に台湾は日本ほど症状が重くないこと」という結論と相違する可能性があ
る。

さらに、2017 年8 月3 日、筆者は台湾国家公共衛生院を訪問した際、郭育良は次のよう
に述べた。

「現在の資料によると、台湾の場合はPCBs 及びPCDFs の摂取濃度が日本より低いが、
摂取期間は長かったです。日本の場合は、PCBs 及びPCDFs の摂取濃度が台湾より高いが、
摂取期間が短かったです。しかし、歳月が経っているので、現在では、台湾と日本の油症
患者の症状はほぼ同程度だと推測しています。」

実際の症状について、2016 年以来、筆者は油症に関する現場を訪問し聞き取り調査を重
ねた。以下は、油症被害者の年齢、性別、出身、病状(既往歴、治療中)などである。
No.1、sさん:女性、1961 年長崎県五島市 島出生。当時の家族構成は父親、母
親、妹、弟とs5 人であった。

sさんは、1975 年に母親と同時にカネミ油症と認定された。弟は1977 年にカネミ油症
被害者に認定された。なお、当時父と妹は当時の認定基準を満たしていなかったので、
認定されなかった。しかし、2012 年の新法の救済で認定された。

sさんに油症の症状が出始めたのは、1968 年小学校の1 年生の時であった。米ぬか油
を食べたのは1968 年2 月以降。記憶は定かではないが、5 月頃に鼻血が出て止まらな
くなった時があった。さらに、1970 年小学校3 年生の時、体がだるくなって、動けな
くなった。背中、顔、足、首などの皮膚に臭いおでき、吹き出物が全身に出始めていじ
めに遭った。体中が熱をもち、膿が出たりした。朝礼では倒れ、激痛で椅子にも座れな
い状態であった。

当時なぜ米ぬか油を選んだかというと、「家の近くの商店に美味しく、体にいい油が
きているよ。塗ると皮膚がすごく綺麗になり、動脈硬化に良く、値段も安い」などのう
たい文句で売られていた。とにかく健康に良い油と言われていたので、母は家族の為に
健康に良いと評判のカネミ油を注文した。その後、肉や魚の天ぷら、野菜炒め等に一滴
も捨てず使い切った。近所でも、カネミ油は健康に良いと聞き健康を取り戻すためさか
んに食した人もたくさんいたと記憶している。

1968 年当時テレビも新聞も無いs家では、ニュース等の情報はラジオからだけで
あった。ある日、下田は「米ぬか油を食べたら、病気がでる」というニュースを聞いて、
びっくりして怖かった。母が米ぬか油を使って食事を作っていたのだと心配して、母に
聞いた。ところが、母はカネミの油のことを知らなかった。当時は、瓶を持参し、醤油
や酒や油を買っていた。だから、買った油がカネミの油かどうかはわからなかった。
母は近所の人たちに体の異常について聞いてみた。他の人も同じように皮膚にブツ
ブツができていたが、他人に知られたくないこととこの病気がうつるのではないかと
思われたくないことを心配して、みんな黙っていたと記憶している。

しかし、sさんはたびたび鼻血が半日も止まらないことがあった。爪が茶色になり剥が
れて新しい爪になったが、それもまた茶色になった。体はもう自分の体じゃないと感じ
た。恐怖と不安が強くなって、中学1年の時、母とともに地元の医者に診てもらった。
その先生は下田を取り上げた助産師で、良く知っているから、カネミ油症についていろ
いろ教えてくれた。その後、市役所に行って、カネミ油による中毒だとわかった。だが、
この時は事件発生から数年経ていた。

高校卒業と同時に島から逃げるように就職した。島を離れても、健康な人たちと同じ
ように働くことが出来るかどうか不安であった。今でも、差別と偏見を恐れている。さ
らに、毎日病魔と闘って、全身を襲う原因の分からない症状に何度も絶望しながら生活
している。もし米ぬか油を食べなかったら、違う人生になっただろうと思っている。

現在も、sさんには顔以外に時々黒ニキビが出て、膿が出る。頭痛、倦怠感、風邪を引
きやすい症状もある。現在、気管支炎、高血圧、リューマチに悩まされて薬を切らすこ
とができない。2015 年から、毎日漢方薬の桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)を飲
み始めて、少しずつ動きやすくなった。全身倦怠感も少し改善された。

下田には子どもが2 人いる。長女は1989 年出生、長男は1998 年出生。2 人とも、生


転載元: 企業の社会的責任を持たす市民のブログ

転載 第33回ダイオキシン国際会議 カネミ油症患者スピーチ

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第33回ダイオキシン国際会議 カネミ油症患者スピーチ

自らもカネミ油症被害者である宿輪敏子さんが、ダイオキシン国際会議(2013年8月25日、韓国大邱(テグ) で開催)でなさったスピーチを宿輪さんのお許しを得て、日本語で全文掲載しています。
このスピーチは会議では英語で発表されました。
海外の研究者にとっては、めったに聞くことのできない被害者の生の声だったようです。
英語の原稿は英語版の方でご覧いただけます。→ On the real state of Kanemi Yusho



皆さん、
私は45年前、100種類以上ものPCB及びダイオキシン類を食べさせられた「カネミ油症被害者」です。

私たち被害者は 2000 年頃までダイオキシンを食べさせられた事実を知りませんでした。
自分に起きてきた様々な奇妙な病は、全て生まれつきだと思わされてきたのです。

しかし、2000 年頃、ダイオキシン問題に取り組んでいた方々が来られ、
「カネミ油症の主たる原因はダイオキシンなのよ。いまだに被害者たちはとっても苦しんでるの。 仮払金問題で自殺者や離婚者が続出しているのよ。」
と、私が知らなかったことを教えてくださいました。
これをきっかけに、私はカネミ油症事件のことを調べ始めました。

私が最初に確かめたかったのは、私に起きてきた奇妙な病がカネミ油症と関係があるのかということでした。
それまでカネミ油症は皮膚症状ばかりが強調されてきました。
私は被害者に会うたびに、症状を詳しく聞き取りました。

調査が進むに連れ、私に起きてきた奇病な病や症状は、カネミ油症に由来するものだと確信しました。

私がPCB及びダイオキシンを食べたのは6歳の頃です。
母が何も知らず安売りされていたカネミ油を買ってきたのです。
私たちはその油に猛毒が入っているとは夢にも思わず、
いつものように美味しい母の手料理を数ヶ月間食べ続けました。

しばらくして、健康だった家族全員に異変が起こりました。

顔や背中に、大小さまざまな吹き出物ができ始め、朝起きると大量の目やにで目が開かないほどになりました。
顔のむくみも尋常ではなく、ブヨブヨになった歯茎からは、歯を磨く度にだらだらと血が出ました。
爪は黒っぽくなり、波を打つように変形しました。

体が異常にだるく、小学校の階段は手すり無しでは上れませんでした。
特にご飯を食べた後はお腹がムカムカして具合が悪くなり、食べたらすぐに横たわるようになりました。

カネミ油を食べ始めて1年半後、母が、40 度の熱を 40 日間出して死にかけました。
点滴も薬も効かず、何が原因でどこが悪いのかもわからない中、母は死を覚悟で、開腹手術をうけました。

お腹にメスを入れると執刀医の顔に飛び散るほど、大量の膿が肝臓に溜まっていたそうです。
その膿を取り除いて肝臓に触ってみたところ、「ザクッ」と音がしたそうです。
肝臓に砂のような石が大量にできていたのです。

医師は、驚いた様子で「こんなことは医学書にも載っていない。」と、父に言ったそうです。
母は一命を取り留めましたが、その後も入退院を繰り返し、苦しい日々を送りました。
そのときの石は、今でも母を苦しめています。

母の苦しみは、体の被害に止まりませんでした。
家族に毒を食べさせたと今でも時々涙を流し、悔やんでいます。

更に母を苦しめたのは、当時、母が経営していた食堂でもカネミ油を使ったことでした。
頻繁に来てくれていたお客さんの中に、体中の毛が全て抜け落ちた人がいました。
髪の毛はもちろん、眉毛やまつ毛、鼻毛やすね毛に至るまで全ての毛が抜け落ちたのです。

母の証言とその症状によって彼はすぐに認定されました。
その後も彼は、5年に一度、毛髪が、全部が抜けてはまた生えるという奇妙な症状を繰り返しています。
常連さんの中には、未認定のまま若くして亡くなった方が何人もいると、今年、母は初めて告白しました。
母は、そのとき食べさせたカネミ油が原因ではないかとずっと胸を痛めてきたそうです。

知らなかったとは言え、人様に食べさせたその苦悩はだれもはかり知ることはできません。

ダイオキシン入り油を食べたために、子どもを産むという女性の夢を叶えられなかった被害者もたくさんいます。

福岡のある被害者は、「私の娘は醤油色のおしっこをしたのよ。」と、話してくれました。
血尿が出た被害者はとても多かったですが醤油色のおしっこはこのとき初めて聞きました。
その後、その方の娘さんと会う機会があり、被害の状況を聞くと「私は20代で生理がなくなったの。」と話してくれました。
子宮も摘出し、離婚になったそうです。

とても美しい方でした。
子どもが欲しかったと言っていました。本当に無念だったと思います。
カネミ油症被害者は、子宮や卵巣を摘出した方が驚くほど多いです。

しかし、子どもを産んだ被害者の運命も過酷でした。
3年前にやっと認定された被害者は、油を食べて8年後に肛門のない赤ちゃんを生んでいました。
人工肛門をつけ、一生懸命愛情を込めて育てましたが、4ヶ月で亡くなってしまいました。
この赤ちゃんに肛門がなかったことは、親にも知らせず、ずっと、夫婦だけの秘密にしてきました。
しかし、認定された今、あの子はこの社会に大事なメッセージを伝えるために生まれてきたのではないかと考えるようになり、勇気を出してメディアの前でこの事を証言するようになりました。

今年の3月にやっと認定された女性被害者に電話しました。すると、彼女は、こう言いました。
「今年認定された私の弟が初めて私に告白したのよ。
 弟の子どもには歯が8本生えて来なかったんだって。」

私は絶句しました。

油症被害者の子どもには永久歯が生えてこない子どもがあり得ないほどたくさんいます。
私の知っているある女の子は、下の前歯が2本足りず、その妹も1本足りません。
しかし、8本というのは初めて聞きました。

その女性は、孫のことも泣きながら訴えました。
「二男の子はペニスが異常に小さいの。
 もう一人はあまりにも大き過ぎるの。
 常に興奮したときのまんまで小さくならないのよ。
 二女の子どもは、黒い赤ちゃんだったの。
 カネミ油症はね、外からはわからないけど、体の内部の身体障害者なんだよ。」

ダイオキシン食中毒のカネミ油症事件は、決して過去の事件ではありません。
次世代まで続く被害は、カネミ油症被害者支援センターや被害者自信による聞き取り調査によって次第に明らかになり、勇気ある被害者の訴えによって、マスコミにも取り上げられるようになって来ました。

しかし、次世代にわたる被害は深刻であればあるほど被害者は真相を隠します。
子どもや孫を結婚差別から守るためです。

全身的に病んでいる私の親戚は、電話をすると、よく「死にたい」と言います。
「苦しむためだけに生きているようなものだ。」と言うのです。
彼女の子どもたちも、原因不明の高熱や大量の鼻血、婦人科系疾患などで入退院を繰り返し、まともに働けないほど病んでいます。
それでも彼女は、子どもたちが結婚を諦めてしまうのではないかと、自分がカネミ油症の被害者であることをずっと隠してきました。
彼女の子どもが、「何で、私はこんなに体が弱いの?」と、何度聞かれても「わからない。」と、答えてきたのです。

これがダイオキシンを食べたカネミ油症被害者の実態です。
被害者の血液やレントゲンなどではわからないことがたくさんあります。

現場に足を運んでください。
できれば1年間くらい住み着いて真実を暴き出してください。

カネミ油症には、これに専念してくれる医師も研究者もいません。



【参考資料】朝日新聞の記事 → 「真実知って」 長崎・五島の油症患者、国際会議で訴え




ブックレット「韓国のダイオキシン被害者たちは今」の紹介 | カネミ油症被害 ...

plaza.rakuten.co.jp/ysc2002/diary/201505060000/
2014年に発行されたブックレット、 「韓国のダイオキシン被害者たちは今〜韓国ダイオキシン国際会議カネミ油症被害者とともに参加して〜」 を紹介します。 2013年に8月に韓国で開催された第33回国際ダイオキシン会議にカネミ油症患者 ...

「カネミ油症被害者救済を求める東京集会」での原告団共同代表の岩村定子さんの発言です。

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2015/06/06 にアップロード
6・4「カネミ油症被害者救済を求める東京集会」での原告団共同代表の岩村定子さんの発言です。


2015年6月4日「カネミ油症被害者救済を求める東京集会」での被害者の方の発言です。

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2015年6月4日「カネミ油症被害者救済を求める東京集会」での被害者の方の発言です。


カネミ油症事件。吹き出物、手足のしびれ、肝機能障害、骨の変形、永久歯の欠落、大量の脱毛、そしてがん・・・。

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「美容と健康にいい」
そんな宣伝文句で売られていた米ぬか油。
その油には猛毒のダイオキシン類が含まれていた。
44年前、福岡県を中心とする西日本一帯で起きたカネミ油症事件。吹き出物、手足のしびれ、肝機能障害、骨の変形、永久歯の欠落、大量の脱毛、そしてがん・・・。
根本的な治療法もない中、猛毒は44年がたった今もなお被害者たちを苦しめる。さらに被害は子や孫の世代までにも忍び寄る・・・。
人類史上初めてダイオキシン類を直接口にしたカネミ油症事件。
KBCはこのカネミ油症事件を発覚から44年にわたり追い続けてきました。
被害者の心と体の痛み、救済への悲痛な訴え・・・。
これまでに制作したドキュメンタリーは11本に上ります。
KBCが追ったカネミ油症44年の記録です。


[転載]カネミ油症救済 名著紹介 ちょい読み 「食品公害」救う新制度を 宇田准教授に聞く

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naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/.../1/JJNUK5_2_04.pdf
2018年11月3日 - 事件の比較研究は非常に少ないので、この両事件の比較研究が必要である。本論は、 カネミ. 油症と台湾油症の比較考察への第一歩に位置づけられる。 キーワード: カネミ油症、台湾油症、化学性食中毒、認定基準、患者登録、食品公害 ...




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iwj.co.jp/wj/open/archives/99178 - キャッシュ
厚生省は、油症原因物質のひとつに、ダイオキシンがあったことをなかなか認めなかったが、2002年に当時の坂口厚生労働大臣が、厚生官僚の反対を押し切り、「カネミ油症の原因物質はPCBよりもダイオキシン類の一種であるPCDF(ポリ ...


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www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/63/1/63_53/_pdf
なった. キーワード:カネミ油症,食品公害,法的承認. 1 問題の所在. 1.1 カネミ油症研究の今日的意義. 1968 年にカネミ油症事件が発覚してから,すでに 40 年以上が経過した.カネミ. 油症(以下,油症)とは,カネミ倉庫株式会社(以下,カネミ倉庫)が製造した ...



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kotobank.jp/word/ネミ油症-45970 - キャッシュ
1968年6月頃から福岡県を中心に西日本で多発した PCB中毒症。全身の発疹や発熱,顔面浮腫などを中心とする症状が続き,死亡者が出て,油症新生児 (黒い赤ちゃん) も多数生れた。製造工程で PCBが食用油に混入したことによる食品公害病と判明 ...


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www.kyudai-derm.org/yusho_kenkyu/pdf/dai_04.pdf
油症事件が発生した 1968 年に,患者の家庭から集められたライスオイル中の毒性有機塩素化合物. を最初に分析したとき .... 台湾油症 2 検体のライスオイルに含まれている PCB と PCDF 及び PCQ はそれぞれ 80,43.9 と ...... 食品から摂取する全 TEQ 量の 60% は魚介 ..... 長崎県衛生公害. 研究所報 24, 141–143. 100) 益田宣弘, 近藤幸憲,本村秀章,等 (1984) 油症検診者の血中 PCB および PCQ (昭和 58 年度, 昭和 59.


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www.kyudai-derm.org/fukuoka.../fukuoka_acta_medica22.pd...
発酵玄米健康補助食品摂取による油症原因物質の体外排泄促進―PCDFs と PCDDs の場合―. 長山 淳哉・平川 博 ...... PCQ,PCDF 濃度の測定を長崎または福岡の公害. 衛生研究所で行っ .... カーの適正使用ガイドライン.1.骨疾患にお.



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www.nichibenren.or.jp/library/ja/.../hr.../060417.pdf
② 未訴訟の油症被害者ら及び新規認定患者らに対し、相当の賠償措置を講ずるべき. である。 ③ Xは、訴訟 ... 国の担当行政機関は、食品衛生法及び国民の医療、社会保障を担う厚生労働省及び. 仮払金返還問題を ...... みると、他の公害、薬害被害者等における救済措置や、特定疾患・難病患者に対す. る支援と同様の支援を ...



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www3.kumagaku.ac.jp/srs/pfd2/16-1/16-1-1.pdf
の中毒事件であり、胎児性油症も世界に類のない(人類史上初の)経験であっ. た(3,4,5 ,6)。 ... しのつもりで有志を募り、少数ではあるが未認定を含む油症患者の検診を行. い、できる限りの ...... 2)川名英之:ドキュメント日本の公害、第3巻、薬害・食品公害、.


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shakai-gijutsu.org/vol1/1_25.pdf
そして,食品分野の重大事故における事故調査体制の分析や一次資料の保存の必. 要性について述べる. キーワード:カネミ油症事件,事故調査,食品行政,PCB, ダイオキシン類. 1. はじめに .... 油症事件の拡大,未認定患者の増加,民事訴訟における. 事実認定の ...... 20) 植木哲(1986)「食品公害判決と司法謙抑主義‐カネミ油. 症小倉第二陣 ...


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★福岡)「食品公害」救う新制度を 宇田准教授に聞く
【朝日新聞デジタル201811290300分】
被害の規模の大きさから「食品公害」とも言われるカネミ油症だが、制度上は食中毒事件として扱われてきた。高崎経済大の宇田和子准教授(環境社会学)は、食中毒、公害とは別の食品公害に特化した新たな救済の枠組みが必要だと訴える。制度の狭間(はざま)に落ち込んだとも言える油症被害の救済策について聞いた。
 ――油症発覚から50年。国の対応をどう見るか。
 場当たり的な対処の積み重ねが制度のようになってしまい、その制度が破綻(はたん)しているのに、放置され続けてきた。被害者の要求は顧みられず、問題は解決されずにいる。
 ――破綻した制度とは。
 一つは患者の認定のあり方だ。発覚当時の厚生省職員によると、診断基準は当初、患者が自分が油症だと気付く目安となる「おたずねポスター」の役割でつくられた。限られた症状にもかかわらず、それが患者の認定、棄却を振り分ける基準に使われるようになった。国は患者を一元的に判断する認定機関を設ける方針も示したが、既にあった(九州大の医師を中心とした)油症研究班に任せたまま、今に至っている。
 ――今の認定の問題は。
 ダイオキシン類の被害はまだ全容が分かっておらず、国際的な知見を総動員するべきテーマだ。国は患者認定の責任を研究班だけに負わせているが、すべて任せることはできない。医学的な認定から漏れても、状況から明らかに被害者だという人を患者と認める行政認定や司法認定のような制度が必要だ。弁護士らを加えるなどして、事実上、医者だけが認定している状況を止めないといけない。
 ――現在の事態を招いた原因は。
 油症のような食品による大規模な被害に対応する制度がないためだ。食中毒を扱う食品衛生法にはそもそも救済の概念がない。公害には国も関与した認定・補償制度があるが、食品に由来する被害は公害にあたらない。食中毒と公害の制度の空白に落ち込んでいる。
 
 発覚の後、厚生相は「公害に準じた扱い」の必要に言及した。国も普通の食中毒事件の扱いでは不十分との認識があったはずだが、結局、手を打たなかった。
 ――油症をめぐる国の責任の有無をどう見るか。
 「ある」と考える。ダーク油事件を受けて、人への被害が予見できたのに止められなかった発生責任と、被害を50年にわたって看過してきた責任だ。加害企業に資力がなく、補償の仕組みは当初から破綻していたが、その面でも被害者の訴えを無視し続けてきた。
 ――2012年成立の被害者救済法をどう見るか。
 未認定の被害者を広く救済して、幅広く施策を推進していく理念が守られず、部分的な施策の追加にとどまり、成果に乏しい。国は裁判で責任を問われていないことを「動かない理由」にしてきた。この法律で主体的に解決に介入することが可能になったはずが、国の姿勢は変わっていない。
 ――どのような制度、施策が必要か。
 食中毒とは別の、公的な救済を必要とする「食品公害」という事態を認め、その対応を制度化するべきだ。食品製造の大半は中小企業で、油症のように原因企業が補償を十分に行えない場合が想定される。食品関連の産業が費用を広く負担する基金が必要と考えている。(聞き手・奥村智司)
     ◇
 〈ダーク油事件〉 カネミ油症の被害が発覚する8カ月前の1968年2月、カネミ倉庫(北九州市)が食用の米ぬか油と同じ工程で生産したダーク油製の飼料を食べたニワトリが西日本一帯で大量死した。農林省(当時)の原因究明は遅れ、食用油の危険性を厚生省(同)に伝えなかった。人への被害を防げなかった国の責任については、複数の裁判で判断が割れた。聞き手・奥村智司


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転載元: 悩み事の相談のブログ

[転載]誤認逮捕(ごにんたいほ)とは、警察などの捜査機関がある人物を被疑者として逮捕したものの実際にはその人物は無実であったことが判明した場合の逮捕行為を指す俗語である。

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全く見覚えのない事件の場合に不起訴処分を獲得するためにどうするべきかなのか?
この場合には、自分の主張である「犯人でないこと」「正当防衛であること」などを徹底的に最後まで貫くことがとても大事。

誤認逮捕

日本の刑事手続捜査起訴公判判決
誤認逮捕(ごにんたいほ)とは、警察などの捜査機関がある人物を被疑者として逮捕したものの実際にはその人物は無実であったことが判明した場合の逮捕行為を指す俗語である。


概要

捜査機関がある人物を逮捕した場合に、その後の捜査によってその者の無実が判明し、釈放される場合がある。この場合の逮捕を誤認逮捕という。なお、法的用語とはいえず、マスコミ・一般用語である。

誤認逮捕は、下記に述べるように、現行刑事裁判制度においては逮捕制度に内包された起こり得る状態であるため、被疑者の無罪が確定し、なおかつ真犯人を特定できても直ちに違法行為とはならない。

誤認逮捕の発生原因・違法性

発生原因

逮捕は、ある人物に対して犯罪の嫌疑を持った場合に必要性があればなしうるが、捜査機関は逮捕を行うことで犯人の逃亡防止や証拠隠滅を防止し、逮捕した人物を起訴をして有罪判決を得られるだけの証拠を集めるための捜査を行うため、この「嫌疑」はその時点の証拠関係から判明した相当程度のものでよい、とされる。

したがって、必ずしも確実ではないが、その者の逃走や証拠隠滅を防ぐ必要がある場合には逮捕がなしえ、その人物が無実であった場合も含まれうる。

逮捕した者が実は犯罪を犯していなかった、と後から判明することは制度上起こり得る事態で、捜査機関が適切な努力のもとに、適切な確信をもって逮捕行為を行ったとしても、被逮捕者が犯罪行為者ではないことが捜査の結果判明することは有り得る。
  • 「先行して逮捕された者」が「無実の者」を共犯者として罪を着せようとする場合もある。逮捕後の捜査でその供述が嘘であり、無実が判明すれば、誤認逮捕であったことになるが、この場合の捜査機関の行為は適切である。
もっとも、捜査機関の完全な怠慢によって、あやふやな証拠を妄信し、事実を確認する捜査を怠ったために誤認逮捕が発生してしまう場合もある。

違法性

一般的には「逮捕された人物」=即座に「犯罪者」と確信されがちであり、被逮捕者が犯罪行為者ではないと判明した場合には、警察発表を信じたマスコミによって「捜査機関の誤り」として報道される場合があるが、逮捕手続き自体は適法である。

逮捕などの捜査機関の行為は、裁判所に対し被疑者被告人が有罪か無罪かの判断を求めるための行為であり、逮捕から捜査が進んでもなお被疑者が無実であると判明せず、そのまま起訴した場合にもそれ自体は国家賠償法上の違法性を有しない(「芦別事件最高裁判所判決要旨)。

もっとも、明らかに捜査機関が努力を怠るなどして、無実であることが明らかであるのに敢えて逮捕を行った場合には国家賠償法上違法とされる余地がある。

捜査機関に求められる捜査

先入観にとらわれず、無罪推定の原則・原点に立ち返った適正な犯罪捜査が求められる。

2000年代以降の誤認逮捕の例

※逮捕されたが起訴されなかった事件、あるいは逮捕・起訴されたが有罪判決が出なかった事件で大きく取り上げられた事件。

  • 2004年2月17日、店内において女が「泥棒!」と叫び、前に並んでいた老人の男性が、周囲の店員や警察官に長時間取り押さえられ、心臓発作で死亡するという事件が起きた。虚偽で告訴した女は逃走し、行方は判明していない。

冤罪との違い

しばしばマスコミなどでは誤認逮捕と冤罪が混同されて使用される。
誤認逮捕とは上記の通り「逮捕行為の対象を誤った場合」に使う言葉だが、冤罪とは法的用語としては無実の人物が起訴され審理を受けた結果、「無実であるのに有罪判決を受けた場合」を指す。

これに対し、誤認逮捕は逮捕の時点では有罪か否かをこれから判断する状態であり、また冤罪は逮捕を必ずしも要しない。そのため、誤認逮捕と冤罪は厳密には異なる用語である。

もっとも、裁判の結果如何に関わらず、世間的には「逮捕された」という事実と、なおかつ実名報道されるだけで十分に社会的信用を失うに足る(特に、マスコミが「容疑者」の段階で実名を挙げて犯人扱いするかのような報道を行う事が多く、かつ注目度の低い事件に対しては逮捕された段階の報道しか行わない事が多い事が拍車をかけている)。

関連項目

脚注


サイト内リンク:
概要 - 誤認逮捕の発生原因・違法性 - 2000年代以降の誤認逮捕 ...
keiji-pro.com/columns/54/ - キャッシュ
誤認逮捕とは、警察などの捜査機関が無実の人物を逮捕してしまうことです。正式な発表は無かったものの、久保博司氏の著書「誤認逮捕」によると、2010年に起きた誤認逮捕の件数は343件とあります。 現在、年間約40万件もの検挙数がある中で、343件 ...
サイト内リンク:
過去の誤認逮捕の実例 - 誤認逮捕が起きてしまう原因 - もしも誤認逮捕されてしまったら
www.asahi.com/topics/word/誤認逮捕.html - キャッシュ
一方で誤認逮捕などで不当に身柄拘束された場合、刑事補償法に基づいて1日あたり1 千〜1万2500円を請求でき、裁判所が金額を決める。大阪地裁所長襲撃事件で逮捕されるなどした5人は、14歳未満で刑事責任を問われなかった1人を除いて拘束期間に ...
www.sankei.com/west/news/.../wst1805020041-n1.html
2018年5月2日 - 和歌山県警は2日、和歌山県海南市内で4月に発生した傷害事件で、同県内の男性( 20)を誤認逮捕し、その後釈放したと発表した。県警は大阪府大東市に住む会社員の男(2…
www.sankei.com/affairs/news/.../afr1805080004-n1.ht...
2018年5月8日 - 警視庁は7日、免許証の提示を拒否したとして、道交法違反容疑で50代のタクシー運転手の男性を逮捕したのは誤認だったと発表した。男性は逮捕から約1時間40分後に釈放…
news.careerconnection.jp/?p=40490 - キャッシュ
2017年9月11日 - 専門学校生の女性(21)が、アイドルグループのコンサートチケットを譲るとウソをついて4万円をだまし取ったという嫌疑を掛けられ、誤認逮捕されていたことが分かった。9月10 日、徳島新聞が報じた。
matome.naver.jp/topic/1M8AH - キャッシュ
誤認逮捕」に関する「NAVERまとめ」が集約されたページ。「誤認逮捕」で今話題のまとめが簡単に見つかります。
www.amazon.co.jp/誤認逮捕...久保.../4344982312 - キャッシュ
Amazonで久保 博司の誤認逮捕 (幻冬舎新書)。アマゾンならポイント還元本が多数。 久保 博司作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また誤認逮捕 (幻冬舎新書)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。
gendai.ismedia.jp/articles/-/33978 - キャッシュ
警察・検察の「反省」なんてみんなウソっぱちだった ネットなりすまし殺人予告 誤認逮捕の被害者が「恐怖の取調室」を語った ... 世間を騒がせている「ネットなりすまし殺人予告事件」で、大阪府警に誤認逮捕された北村真咲さん(43歳)の弁護人は、北村さんの怒り ...
news.livedoor.com/誤認逮捕/topics/keyword/5053/ - キャッシュ
誤認逮捕に関するニュース記事一覧。トピックスで扱われた注目ニュースを掲載しています。

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転載元: 被害者救済 誤認逮捕や不法逮捕防止


[転載]誤認逮捕

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最近びっくりした記事


どういう取調べがあったんだろう。そして、どういう捜査をしたのだろう。そして、どういう裁判が行われたのだろうと疑問のつく事件ですね。

警察は、どうにもならんとして、裁判所はロジックが正しいか検証することはしないのでしょうか・・・

裁判員制度が導入されれば、証拠を集めてロジック検証が進むことを期待


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070119-00000127-mai-soci
より全文引用
富山県警は19日、県内で02年1~3月に発生した強姦(ごうかん)、同未遂の二つの事件で誤認逮捕していた、と発表した。逮捕された男性(39)は同年11月、富山地裁高岡支部で懲役3年の実刑判決を受け服役した。その後、2事件が、鳥取県警に強制わいせつ容疑で逮捕された松江市西川津町、無職、大津英一容疑者(51)の余罪と判明し、富山県警が19日、再逮捕した。
 県警によると、似顔絵捜査や被害者証言を受け、男性を2日間で計約17時間、任意で聴取。当初は否認したが、3日目に容疑を認めたため逮捕したという。
 男性は公判でも起訴事実を認め、約2年1カ月間服役し、05年1月に仮出所。無実判明後の今月17日、県警幹部が謝罪のため親類宅を訪ねたが、今年に入り所在が分からなくなっていることが判明したという。
 国選弁護人を務めた山口敏彦弁護士は「公判では一貫して犯行を認めていたので、無実の判明に驚いている」と話した。
 当時の捜査について県警は、事件現場の足跡のサイズが男性と違っていたことや、自宅電話の通話記録などからアリバイが成立したことなどを挙げ「供述の信用性の吟味に欠け、裏付け捜査が不十分だった」と認めた。しかし、捜査方法は「適正だった」とした。
 記者会見で小林勉県警刑事部長は「男性に心からおわび申し上げたい。再発防止に努めたい」と語った。佐野仁志富山地検次席検事も「男性をはじめ家族、被害者などに多大な迷惑をおかけし、心からおわびします」とコメント。今後、男性の再審請求をし、無罪を論告求刑する方針。
 一方、大津容疑者は強制わいせつ容疑で06年8月、鳥取県警に逮捕され公判中。03年8月に富山県内で起きた別の強姦未遂事件の容疑が浮上し、06年10月に富山県警氷見署が逮捕していた。【上野宏人、青山郁子】

転載元: 夢想夢幻

[転載]誤認逮捕

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16歳少年を誤認逮捕
静岡県警掛川署は14日、会社員男性に暴行して重傷を負わせたなどとして、掛川市の少年(16)を傷害などの疑いで誤認逮捕したと発表した。
 少年は約13時間後に釈放された。
  同署によると、JR掛川駅前の路上で7月9日、同県菊川市の会社員(26)が男たちに現金を要求され、殴るなどされて鼻の骨を折る約1か月のけがをした事件で、目撃証言をもとに少年を今月13日朝、容疑者の一人として逮捕した。
  少年は当初「知らない」と否認し、その後に容疑を認める供述をした。供述につじつまが合わない点があり、会社員に確認したところ「犯人と違う」と証言したため、逮捕が誤認だったと分かった。
 殿岡千昌署長の話「全く申し訳ない。今後は過ちを犯すことのないよう捜査の徹底を図っていきたい」
(読売新聞)
「少年は当初「知らない」と否認し、その後に容疑を認める供述をした」ってとこがポイント
ですね。何故犯罪をやってない人が「やった」と言うのでしょうか。「吐けば早く帰れる」的な
ことが取調室で行われているからです。長時間拘束されてそういうことをやられると心が折れて
しまうらしいです。もちろん本件でそういうことが行われたかどうかはわかりません。関係者しか
いない取調室の中のことですから何かあっても全て闇の中へです。
 ますます少しでも早い捜査の可視化が期待されると思います。
 
 ってか先に被害者に確認取るのが普通では?っとも思いますが。

転載元: ~とある法学徒の日記~

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